2025/9/15 白露の次候「鶺鴒鳴」4日目

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日々自炊して、お菓子を作っていて思ったこと。それは調理場に空調がないと非常に困るということ。

実際今のわたしの借りている部屋は、廊下とキッチンが一体となっている間取りで、当然ながら空調などない。その結果何が起こるかというと、この季節は調理中暑さでやられそうになるのと、クリームをホイップするときなどの暑さが大敵になる局面においてなすすべがないということ。実際キッチン自体の気温の高さが意識の埒外にあったせいで、せっかくしっかりと角が立つレベルにホイップしたココナッツホイップが台無しになったこともあった。ああ、そう考えると調理をよく行う人間にとっては、1Kよりもワンルームの方が良いのかもしれない。次の部屋はDKかLDKを考えているけど場合によってはワンルームも視野に入れようと思う。

そして今日の荘子内篇。かの有名な「荘周夢に胡蝶と為る」だ。これが斉物論第二を締めくくる話だったとは。斉物論第二においては、今まで存在は本来一体のものであり、そこに線引きや精製、毀損によってさまざまなものやことに分離していき、そこから感情が生まれるといった話や、知においても知ったつもりで知らないこと、知らないつもりで既に知っていることなどの陰陽道に通じる話だったりと、万物を一つの存在として捉えることで、世間のしがらみからの解放が説かれているように思えた。そしてこの「荘周夢に胡蝶と為る」もまた、栩栩然として(楽しみながら)蝶となってひらひら飛んでいた自分も、蘧蘧然として(意識がはっきりして)荘周である自分も一体のものであるように感じ、どちらが現実かわからなくても、はっきりと線引きされている、それが「物化」という、一体の存在から分離した一つの、別の存在だと説かれている。前提に一体の存在というものがあって、自分という存在は、そこから分離したもので、だから夢を見る。夢を楽しめる。夢から覚める。ああ、人だ。そう思えた。胡蝶という自由でひらひらした存在から、自分が自分であるということを教えられるという話が実に美しい。そして自分が帰属する場所が分かっていれば、きっと夢が夢でしかない事にも悲観することはなく、夢を見て、夢を楽しんで、意識がはっきりしてもなお自分でいられるのかもしれない。やっぱり私はこの章が好き。自分が帰る地球という場所を感じつつも、自分が自分であること、自分が地球から産み落とされた一個存在であることも肯定してくれるような、そして蝶の美しさと夢を見る楽しさをこの文章という実存で教えてくれるこの章が。

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