「ブランクーシ 本質を象る」観覧日記

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6月1日土曜日、アーティゾン美術館(東京)にて開催されている企画展「ブランクーシ 本質を象る」へ行ってまいりました。
ブランクーシといえば、私は実を言うとそれまで名前すら知らないくらいには美術無知人間だったのですが、昨年開催されていた西洋美術館の企画展「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命」で展示されていた「眠れるミューズ」で初めてその名前を知ることとなりました。それでその作品がとても好きでその好きなポイントを熱烈に語る方がいらっしゃり、そのお話を聞いたことで興味がわき、本企画展が日本においては史上初となるブランクーシメインの企画展、ということで行きたいなーとは前々から思っていました。
とはいえ6月は結構土曜仕事やら用事やら試験やらで既に埋まっていたしこの企画展自体は7月初頭までということもあったんで、ならもう行ってしまうか、みたいなノリで昨日行ってきたところです。
結論から述べると、美しかったです、ええ、大変に。
西洋美術館の時と同じように、いくつかのポイントに分けてあの時経験した存在の美しさを記録していきたいと思います。

美しポイント1:存在の核以外をそぎ落とした曲線美

ブランクーシの作品は、全体的に細部の凸凹とかをごっそりそぎ落とした卵型のツルツルした作品や、幾何学的な図形を組み合わせたような作品が台座含めて多くを占めておりました。「眠れるミューズ」の時も思ったんですが、この一転の迷いなく描かれる弧で構成された卵型の頭部が実に美しかったです。なお、あの時西洋美術館で見た「眠れるミューズ」は5月12日までの展示だったとのことで残念ながらお目にかかれなかったのですが、これには続編があったようで「眠れるミューズⅡ」が展示されていました。
どうやらブランクーシは一時期ロダンのアトリエに身を置いていたようなのですが、なんと1か月で出奔していたそうで、その後はピカソやキュビズム芸術家、シュルレアリスト達との交流を経てアメリカで自身の芸術を受容してくれる人たちと親密になったそうです。当時のロダンというのは(今もそうかもだけど)彫刻界の権威そのものだったらしく、それに対する反発カルチャーみたいなものも一種の流れとしては存在し、ブランクーシもその流れに乗ったのだとか。まあ作品見たら何から何までロダンとは対照的ではありましたね。顔や筋肉の堀を細部まで再現する肉体美を象ったロダンの彫刻と比しても、もう早い段階で顔の彫りなんてものは鼻や口くらいしかなくなっていったブランクーシ。しかしその極限までに細部をそぎ落としてモチーフの形状そのものを限られたパーツで表現していた技法は、なめらかな曲線美と、まだ何物も形成されていない誕生・始まりの純粋美を感じさせる美しさが存在感を放っておりました。これが、捉えたいものの主要な部分だけを残してそれ以外の情報をそぎ落とすことで、タイトルにもあった「本質」を象ろうとした試み、ということなのでしょうか。「眠れるミューズ」やそれに連なる作品群は、寝ているモチーフの作品は皆横になっていたのですが、これは台座がないからと気づいておおってなりました。台座がないということはそれは何物にも形成されていない自由さも見せているなって個人的に感じたので、眠っているときというのの無限大な自由さを感じられてそれもこの作品郡の何物にも阻まれない美しさを表しているようでした。

美しポイント2:再解釈から見える美しさ

ブランクーシは、写真もいっぱい残しておりました。アトリエの写真、作品の写真、自分の写真などなど。それはしかも自分で撮ったものが多いんだとか。アトリエの写真は、ありとあらゆるところにデフォルメされた造形の作品群が埋め尽くされてて空間自体がブランクーシの世界そのものって感じがして、こんな空間に常人がいたら360度四方からあの存在感浴びて気絶しちゃうんじゃないかって感じがしましたね。
その一方で、写真に写された作品群は、実際に展示されている完成品と比べると、また何か違った趣がありました。それは光の当たり方とか影映りといったものが瞬間的にとらえられ、写真という形に表されることで、作品が新たな顔を見せる再解釈のツールとして写真が機能しているように思えました。
光や影もまた、存在の深みに入り込み、本質に迫るための重要なツールであるとブランクーシは考えていたのかもしれない、そんなことを想像しながら写真に写る深みから顔を見せる存在感の美しさに目を奪われておりました。

美しポイント3:空間の鳥

作品名そのものになってしまいましたが、企画展の最後の方に鎮座するこの作品に私は目を奪われてしまいました。三日月のようなフォルム、すらっと立つシャープさ、まっすぐに聳え立つ優雅な存在感、すごく美しい本当に美しいとしばらく立ち尽くしてその存在をまじまじを見つめるほどでした。写真でもいくつかこの空間の鳥があったのですが、暗い背景に悠然と立つ光を受けた作品や、暗所でわずかに照り返す作品など、写真でも様々な色を見せてくれておりました。アトリエの作品たちの中に鎮座するその様は、さながらアトリエの覇者みたいな感じがしました。
そしてこの空間の鳥、この美しさを形成する一つに、ブランクーシのその前に展示されていた(おそらくグッズ展開的に)代表作の一つ「雄鶏」の存在は大きいと思います。今までブランクーシは「眠れるミューズ」などの作品郡で平衡に横たわる卵型の頭部が多く作られておりましたが、ここで平行から一転、垂直な作品を世に排出することになります。その代表的なものがあの赤い羽根をギザギザで表し、すらっと地面に垂直に、シャープなフォルムで形成された「雄鶏」だったわけです。この雄鶏には、鳥という空を自由に飛び回る存在としての自由と、鶏のフォルムのように直立不動に悠然とそびえたつ在り方に対してのブランクーシの敬意を感じました。それを踏まえて、そのフォルムをよりスタイリッシュに、ミューズたちのような純粋なる曲線美を加えた結果、あの優雅で華麗で美しい「空間の鳥」が生まれたのではないかと思っております。ここ迄心奪われる作品に出会えたこと、本当にこの出会いに感謝します。

なにはともあれ、6月しょっぱなにこの企画展に行けて本当に良かったです。他にも、色彩検定の勉強で感じた色の視覚的な効果や錯覚により新たな色が見える手法が絵にも取り入れられていることを、実際に作品を見ることで感じることができたりと、最近の勉強が活きている場面がちょいちょいあってそれも嬉しかったですね。てか色彩検定やっぱ美術展も豊かなものにしてくれるし、美術検定も合わせて受けたらもっと豊かになりそうってなりました。

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