2025/9/4 処暑の末候「禾乃登」3日目

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今日は、AMABの状態が身体的にそのままである最後の日。明日からこの先どうなるのかはわからないけど、確実に今よりもわたしに近づけることは確かだと思う。今までずっとAMABとして、違和感や嫌悪感を持ちながらも家が、社会が期待するロールを演じ続けてきた。以前のわたしはずっとその自分の違和感に蓋をして、ジェンダー規範に追従していた自分を臆病だと嫌悪することがあった。しかし今となっては、自分のような違和を抱く存在のことを知らなかったこと、その違和をそのままにしない方法があるということを知らなかったことで、よりわたしである生き方を歩めるという選択肢を持つこと自体が不可能だったのだから、少なくともそのこと自体を、わたし自身も、わたしに規範を期待した親類も責められるべきではないと思えるようになっている。それは、やはりわたしがわたしを生きようと決めて、実際に動けることで気持ちを整理できるようになったのも大きいのではないかと思う。この在り方がこの先今までわたしと関わってきたどれくらいの人が受け入れるのかはわからないけど。それでも結局わたしにも世界にも嘘をつくくらいなら、今の二元論的ジェンダー規範に嘘をつく方がずっといい。そもそも、やりもしない段階でそれを判じること自体ナンセンスだし、実際今日まで苦しんできたわたし自身をそっちのけで是非を問うこと自体、またずっとどうあるべきかを考えてきたわたしを置き去りにしてしまう、わたし自身が。だからその辺はこの後考えればいいと思っている。考えるかどうかもわからないけど。

わたしは今、いや、今も昔もかもしれない。旅をしていて、まだその旅の終着点が見つかっていない。それは、「知る」ことでより旅路が伸びていく。「知る」ということは、前述したような、今まで選択肢にすら入らない、知らない生き方を自分の世界に可視化することともいえる。その世界に自分が何かしらの光を、自分の旅での思いを感じられるのならば、そこを目指して歩みを進めていく。そして先へ進めるためにはまた新たなことを「知る」ことが必要になる。そうやって自分はいろいろなことを知っていくことで、この大いなる地球のどこかに自分の旅の終着点を見つけるのだと思う。自分が旅をしている世界は確かに自分が見ている世界であるけど、その世界は地球と乖離してはいけないと思うから。何とか自分の世界と地球をつなぎとめておきたいし、なによりわたしは地球のどこかに自分の帰属する先を、居場所を見つけたいと思っている。わたしがまだ色々を知っていきたいのは、きっと地球に触れたいからだと最近は思う。人間として、地球から産み落とされた存在として、地球が織りなす美しい循環に、自らもコミットできるような居場所を確立したい。だからまずはその第一段階として、わたしをわたしに近づける。それを明日から執り行う。

今日、天気は悪かったけど、朝焼けは綺麗だった。あんな空を、いつまでもきれいだと思っていたい。

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