ありのままを「視る」

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今まで知らなかったものを知覚する
知覚したものは自分にとって「プラスな存在」「マイナスな存在」「どうでもいい存在」に分かれる
プラスな存在は「自分に好意的」「自分の思考と合致」「自分を阻害しない」みたいな特徴が1つ以上はある
マイナスな存在は「自分に敵対的」「自分の思考と相反する」「自分を阻害する」といった特徴が1つ以上はある
どうでもいい存在はそのどれもがない、あるいは「自分に興味がない」「自分には関係がない」と思えるような存在と言える

それらの存在を知覚した時、どうしても避けて通れないのが「バイアス」だと思う

プラスな存在を知覚した時、その存在に好意的に接するし、可能ならば手中に収めようとする
そしてその好感度の度合いが非常に高い場合、その存在を本来以上に高く見積もるバイアスが働くこともある
高く、というのは実態とはかけ離れた見方をしてしまい、その存在の本質を見誤ってしまうということ
平たく言うとフィルターがかかって過剰に美化されてしまう、ということでもある。拡大解釈が解釈の枠を超えてしまった、といった具合に

マイナスな存在を知覚した時、その存在を邪険に扱う、その度合い次第では積極的に排除に向かう
この排除、というのは、文字通り物理的に排除しようとすることはもちろんのこと、それ以外にも、「視て見ぬふりをする」「自分の中から存在を消す=見なかったこと、聞かなかったことにする」といったものも含まれると思う
どうでもいい存在を知覚した時に働くバイアスも似ている。どうでもいい存在は、最初から見なかった、聞かなかったのと同じようにその存在を大抵は無視する。「いないもの」として扱うと言ってもいい

この「いないもの」扱いがなかなかに曲者と思う
少なくとも自分にとっては、そう扱ったとしても実生活に支障が出ることはない
だから気づきにくい

だけど、毎日のように新しい発見もとい知覚があるということは、それだけこの世界の存在というのは多岐にわたるということでもある
つまりその存在たちは自分たちが知覚しようがしまいがずっと存在していたのだ
私は、そういった新たな発見、知覚することで広がる世界を、存在との出会いを大事にしたいし、その出会いに感謝したい

しかしその「いないもの」扱いというのは、自分にとっては、その存在を自分の世界から追放しているのではないかと考えている
ずっといるのにいないと扱うのは、その存在を否定しているも同然ではないだろうか。積極的に悪意を向けたり排除しようとしたりしなかったとしても
目を反らす、目を背けるってことも大して変わらないと思っている。目の前に存在しているものを見ようとしないのは、結局その存在を自分が知覚したくない、という意思の表れのように思えてしまう

世界に確かに存在するものを、自分の色眼鏡で本質を見誤って見ることも、「いないもの」として扱って目を背けることも、私は世界にずっと存在するそれらに対しての敬意に欠けていると思うので、自分の美学に反する。

自分の美学は、すなわち「知覚した存在とその本質をしっかりと見据え、受け止めること。過度に美化もせず、さりとてその存在を否定せず」ことにあり。
ただし本質を無視したり存在を否定したりするような美学に反するものに対してだけは、断固として拒否する。

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