手記「心と体の不思議とリンク」

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ここ数日、一気に冷え込んできた。
部屋で過ごすと聞こえるのは生活音のほかには吹き荒れる木枯らし。それこそチルタイムには耳をつんざくレベルに窓や通気口をガンガン叩き付ける。
でも朝家を出るときにはそんな風はピタッと止んでいる、不思議。
一段と冷え込んだ空気と、音の記憶だけが、木枯らしが吹いていた、と想起させる。
そんなふとしたことで不思議を感じる、存在を感じる瞬間というのが、自分の体と心にもあったりするものです。
木枯らしが残した寒さを肌に浴びる帰り道、考えていたことをここに書き残しておきたいと思います。

自分の顔が初めて好きになった話

私は、生まれてこの方自分の顔が、もっと言うと自分の体が全く好きではありませんでした。理由は色々あるのですが、要約すると、「自分の心とは別の何かのように思える」「人間のそれのように思えない」からです。ちなみにルッキズム的表象ではないことだけはここに置いておきます。

人間が自分の顔を見る機会というのは、現代社会においては鏡を見るときと、写真を見るときが主ではないでしょうか。少なくとも私はそうです。まず、私は写真が大嫌いでした。正確には自分が写った写真が。集合写真にしろ、ソロの写真、友達同士の写真にしろ。張り付けたような笑み、どこを向いているのかわからない目線、私を写した写真に映るのは、そんな顔をした自分のあらゆる感情を内へ閉じ込めた人形のような人体でしかありませんでした。同様の理由で鏡に映る自分を見るのも嫌いでした。次第にその嫌い、という感情も押し込められるようになり、鏡を見ても何も湧かなくなり、正しく虚無となっておりました。

そんな有様でも、日々のスキンケアは欠かさなかったし、今年に入ってからはメイクにも手を伸ばすようになったのは、今にして思えば、そんな自分のもの、自分の一部とは思えない自分の顔を自分に取り戻そうとする試みだったのかもしれません。

そんな状態だったわけですが、ふとした時に風呂上がりのスキンケアで、顔を眺めたのですが、いつものように虚無ではなかった。その日は何かじっと見てみたくなったのです。ただ、その理由自体はよくわかっていませんが。

あれ、いいじゃん。これが私か。

なんかすごく久しぶりに、自分の顔を見たような、いや、もしかしたら初めてかもしれない。自分の顔を、観たのは。

いい、と思えたのは、そこにいるのがまぎれもない人間だったから。内の自分を閉じ込めている、その自分からも自分と認められていない肉の塊ではなくて、自分の意思をまぎれもな自分である顔に投影した人間の顔だったから。

以前の記事でも書いたように、最近の自分は心ある人との交流により、自分の意思を表出することに対する抵抗が以前より薄まり、積極的なインプットとアウトプットを心掛けるようになっておりました。もしかしたら、それにより内に閉じ込めていた自分の意思が、ようやく表に出た=顔と一体化したのかもしれない。だから、ようやくそれらを自分と認めることができたのかもしれない。

まだ、心から好き、とは言えないけど、ようやく会えたのかもしれない。自分の意思と一体化した自分の顔と。

体の方は、まだ難しい。私もよくわかってないから。もっと言うと、わかるのが怖いから。正確には、わかった気になるのが怖いから。本当はわかってないくせにわかった気になるのが一番怖い。そうなって自分の体と心、それらを包含する自分をすべて見誤ってしまったら、その自分はいったい誰に見てもらえるのだろうか。自分を見ることができるのは自分だけなのに、その自分にすら見られなくなったら、その存在はどこへ行ってしまうのか。それを誤り、見失ってしまうのが怖い。

でも、いつかはわかりたいと思う。わからないといけないから、その時になって本当に、私は私と初めて出会うことができると思う。そのために、色々とインプットしてる最中なのが今。顔をようやく見つけられたのだから、きっとこれもそうなると信じている。

箸休め:ポンチョ温かいな不思議だな

そんなちょっと暗めな話で終わるのもあれだから、もう一つ感じた不思議をここに残します。

衣替えシーズンなのに冬服を全く持ってなかったため、ここ最近は色々と冬物を探しているわけですが、とりあえず出勤時につかえそうで部屋でも纏えそうなポンチョを一着仕入れたのです。買った店ではなぜかストールと同率の扱いされてましたが。

サイドラインチェックポンチョ。モカ色

ストール同様ならばそこまで劇的な防寒は期待できないかな、と思っていたのですが、いざ着て出勤してみると、つく頃にはむしろ暑いくらいまで体が温まっておりました。この結構可動域広めな布切れのどこにそんな温暖効果が?と思ったのですが、もしかしてこれがかまくら効果ってやつ?とか思ったり。ポンチョがマント状で結構緩く体を覆うから、覆った部分の熱を逃がさずにそのまま温めて身体周りの温度を上げていくのかも、とかそんな感じなのかな?って思うこととしました。いずれにせよ私は体のラインが出ないような服が好みです。だからポンチョやケープコートのようなトップスを今は選んでますね。その結果、身体を温めるメカニズムについて、新たな観点を自分の好きな服で得られたのはうれしい体験でした。こういうのをじっくりと感じられるのも、少しは自分の心だけでなく体、というもう一つの実存と向き合おうと決めたからかもしれません。

余談:タイムリーな人の光

上の話とは全く関係ないんだけど、すぐにそんな結果がついてきたり事態が好転するなんてことは期待してないけど、多分ここで安直に投げ出してしまうような決断を取ったら自分が嫌な気持ちになるだけ、だから先に期待した行動をしたい、って旨のことを話されていた配信者がいました。私が応援しているVtuber家長むぎさんと同じ事務所に所属している後輩にあたる、司賀りこさんという方です。すごくタイムリーな話で、自分の実存と本質についての探求と、ここ最近の目を覆いたくなる悍ましい動きに対して踏みとどまれるような言葉だったから、ここに残しておきたいと思います。むぎさんやしがりこさんのように丁寧に、芯をもってこの先を生きようとされている方がいるというのをこう、具体的に見せられると、自分が投げやりになる資格はない、前向かないとなって思いますね。

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