雑多な思考整理「知性についてのあれこれ」

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最近、というよりも本当に長いことだけど、知性(≠知識)について考えることが前にもまして増えた気がする。

ここでいう知性、というのは現時点では「自分含めたこの地球上の存在がより幸せにあれるように、理不尽に奪われることがないように考え、学び、行動し続けること」とわたしは考えている。それを実現するために知識や見識を得ることで自分の世界を広げ、広がった先の世界で自分が気付かなかった、自分にできること、やるべきことを知り、そのためにまた考え、行動し、そんな循環を続けることが、今の自分にとって、知性と向き合うためにやれることなんじゃないかと思う。そしてこれは流動的なものでもあると思う。さっき言った世界を広げることで、それよりいい考えが見つかることだってある。その時にそちらへシフトすることは、変節と思われるかもしれないが、より良い考えがあるのに以前の考えに固執することが知性的だとは私は思わないし、それは思考を放棄していることとさえ思える。勿論色々考えた結果以前の考えのままでいるのならば、それは思考の末の決断だから思考放棄ではないけど。

地球上の一存在としての人間に与えられた「知性」

前置きが長くなってしまったが、今、わたしは「eco検定」という検定のための勉強をしている。正確には、コーヒーが好きで、そのためには環境問題にコミットすることから避けては通れないと考え、地球環境問題の現状を幅広く、かつ自分により合った形で学べる方法として、eco検定を選び、勉強している。

そこで比較的最初の方に、地球の様々な循環についての話があり、そこでは地球上のほぼすべての生物は、大気の、水の、海洋の、炭素の、土壌の循環にそれぞれの特性を働かせており、地球環境の維持に貢献しているということを知った。

地上の植物や海洋の植物プランクトンは光合成や窒素等の貯蔵で大気中の炭素を吸収し、酸素を供給し、虫や動物、魚などの餌となって蓄えた窒素やたんぱく質をその生物たちへと流していく。虫は花粉を運び植物の生殖に働いたり、より大きな虫や動物の餌になりその栄養素を流していき、動物や魚もまた食物連鎖の過程で他の生物たちの養分となったり共生関係を結んで共に生きて行ったり、最後は死骸となって炭素となるが、その炭素はミミズなどの土壌生物の養分となり炭素は分解され、植物の養分を生み出す。今の地球の維持に、地球上の生物はそれぞれの働きを以て貢献している。

では、人間は?

人間には当然ながら大気中の炭素を吸収し酸素を供給する機能なんてないし、炭素を分解することもできない。そして基本的には食物連鎖の外にいるため、種として何かの養分になる、といったことはない。少なくとも主としての人間には、地球上の循環については何の役割もないように思える。

では人間は地球上にとって邪魔な生物なのかと言われたら、私はそうも思いたくない。

確かに人間は、ただ生きているだけでも地球上の生物を食べなければ生きて行けないし、今や生活のためには大なり小なり環境負荷をかけることから逃れられない。そのことに全く思考を巡らせず、自らの思うがままに資源を浪費し続けていき、奪い続けていくのであれば、ただの破壊者であり、地球にとっての侵略者に他ならないと思う。

だからこそ、人間には知性というものがあるのではないか、とわたしは思う。わたしは、地球上の一存在という視点から人間を見たら、人間の知性というのは、他の生物が地球上の循環に貢献する機能に相当するものなのではないか、と。

人間は、現代社会で生活するうえで、何も意識せずにただ生活していくだけでも環境に負荷をかけ続けるし、それこそ己の享楽の赴くままに動けば、それだけかける負荷も増えていく。自らのとる行動が、何に負荷をかけ、何を奪っているのかを考えなければ、それはどんどん歯止めが利かなくなっていく。だからこそ、それらを考え、意識すること、地球上の一存在として何ができるかを考え行動することが、地球上の一存在という視点から見た知性の役割なのではないか、とわたしは思う。

地球上に生きているのは人間だけじゃないし、それらの生物だって別に人間に利するために生きているわけでもない。だからこそ、それぞれの領域を侵してはいけないんだと思う。自らの生活や行動には、どのような負荷や破壊、収奪を伴うのか、その暴力性・破壊性の存在は意識していく必要があると思う。だから完全になくせ、というのではなく。いや、完全になくせたら理想だけどそれを実現するには少なくとも今は非常に難しいと思うし、その理想のために技術の開発や政策展開を行っている人や国があることも信じたい。そういう存在を支持すること、自らの行動に伴う暴力性を意識し、責任を持つこと。そのうえで、自分が地球の循環や持続のために何ができるかを考え、行動すること。それが知性の持つ役割にはあると思っている。人間が地球の侵略者ではなく、地球の一存在であると思いたいからこそ、わたしはそう思っているし、それに基づいて行動したいと思っている。実際ヴィーガニズムもその一つだったりする。

だからこういう視点で見ても、知性には他の存在へ思いを馳せる想像力や共感性が必要なんだと思うし、知性がある、というのは当たり前ではないからこそ、知性を持った存在としての責任を自覚することが大事なのかもなあ、と思った次第です。

そして、こういうことを考えられることについて、少し興味深いことを言われました。それについては長くなったので別の記事でまとめたいと思います。

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