だいぶ出遅れたかもしれないけど、今月はプライド月間だったりする。この時季だけ政治屋や企業や事業者、広告なんかがジェンダークィアを尊重しますよアピールを挙ってやりだす期間。この期間だけ、存在を認めてあげますよといった上から目線、その面の皮の裏に隠された金銭欲、権力欲が見え隠れしながら。それならまだいい方でその反動、逆張りのようにLGBTQIA+(Iを示すインターセックスは今はDSDsと言われるためにこれが適切かどうかは分からない、けどAを外したくないから念のため)に対する憎悪をむき出しにする言動も普段以上に目立つこともある。
どちらにしたってうんざりするのは変わらない。現にもう、出勤途中に駅前で「多様性を尊重しますよ」みたいなことをいけしゃあしゃあと口にする政治屋の演説にだってもう何度耳に入ってきたかわからない。尊重って何だよ。認めてやるって何だよ。なんであんたら如きの許可がいるんだよ、存在するのに。
結局、尊重アピールする側も普段以上に憎悪をぶつける側も、それが少なくともやってる本人にとって気持ちいいから、金になるから、得になるからといった自己中心的な理由でやってるにすぎないんだろうな、とさえ思ってしまう。自分の欲のためにジェンダークィアを出しにするなと常々思う。いやこれはジェンダークィアに限った話じゃない。自分の欲ぐらい自分周りだけで完結させてよ。金も地位も時間も余裕あるくせに。
去年よりもはるかにそういった有様が感じられるのは、きっとわたし自身の在り方に明確な変化が訪れたからだと思う。これが本当に話したいこと、言語化したいことなんだけど。
わたしは、アセクシュアル/アロマンティックという言葉を知ってからは、おそらくそれに近い存在なんだろうなとは思っていた。他人に性的惹かれを持った経験は思い出してもない。振り返っても、誰かと交際したときも、それは性的惹かれや恋愛感情といったロマンティックな、セクシュアリティな要素は存在しなかった。というか存在したならどれだけよかったか。その中にあったのはもっと酷いものだったから。これを話すのはまだ勇気が足りない。だけどいつかは言語化しないといけないとは思っている。
そして、自分が「社会的規範」とは異なった内面を抱えているということを、ここ数か月で段階的に実感してきている。そしてそれは確実に現実に表面化しつつある。
そのきっかけらしいきっかけは、去年色彩検定3級に合格し、配色やコーディネートについての知見を得たことで、早速自分のやりたいコーディネートを考えた時のことだった。どういう服を着こなしたいか、どういう色で整えたいか。それを考えれば考えるほど、自分がおそらく社会や身内から求められているジェンダーロールとはまるでかけ離れたものばかりを選ぶようになっていた。そしてそれを実際に身にまとうと、今までに感じたことのなかった高揚感、一体感、「自分」で在る感じが得えられた。しかしこれだけだと、いわゆるクロスドレッサー(異性装)というだけなのではないか。とも思ったので、その時はあまり深く考えなかったんだけど。そして自分が何に心を揺さぶられるか、何に怒るか、何に喜ぶかを落ち着いて見てみると、なるほど単に異性の服を着たかっただけじゃないな、と感じてきた。そもそも選んだのも異性の服だから、ってわけじゃなかったし。元からジェンダーバイナリーに対しては絶対的、とは思っていなかったのも大きかったのかもしれない。
そしてさらに契機となったのは、今年、とあるイベントに参加したのだけど、その時もわたしは自分の着たいコーディネートで臨んでいた。そこでそのコーディネートを、生まれて初めて褒められて、生まれて初めて自分の欲しかった言葉をかけてもらえた。それがあまりにも嬉しかったのと同時に、今までにない何かが自分の中で生まれてきたのを感じた。いや、生まれてきたんじゃない。ずっと自分の中にあった何かの声が、ようやく聞こえてきた、といった方が正しいのかもしれない。この感覚は、先日読んだ「アルジャーノンに花束を」の主人公チャーリィが奥底の自分と対話していた感覚に近いのかもしれない。この自分の中の転換期が訪れている時季に、あの本を読めたのはわたしにとっては運命を感じずにはいられない。
いずれにせよ、そこから今わたしは「ノンバイナリー 30人が語るジェンダーとアイデンティティ」というノンバイナリーたちのドキュメントを読んでいるのだけど、それは読み終わったら詳しい感想を書きたい。だけど今の時点でも自分がずっと抱えていた疑問や不安に対して、まるで見透かしたかのように、凛と生きている、悩みながらも進んでいくノンバイナリーたちが活字を通じて語り掛けてきているような気がする。わたしは、そういった固定観念に逃げるべきではなく、奥底の自分と対話すべきなんだ、という気持ちにさせてくれる。
とにかく、わたしの旅は大きな岐路に立たされている。だからまずは、これまで歩んできた旅路を振り返りつつ、奥底の自分をいつ押し込めてしまったのか、押し込めてからの自分はどうだったのか。自分の人生を振り返り、それを言語化していくことで、自分のジェンダー・アイデンティティを自分の言葉で言語化していくつもり。そして必要ならば、医師のカウンセリングも、場合によっては施術も考える。今の段階であらゆる可能性を排除しないで行こうと思う。
