最近考えている雑多なこと1「味について」

この記事は約5分で読めます。

ちょっとした近況

 ここ数日、実際には先月辺りから頭で堂々巡りしている未整理の思考が、脳内に散乱している。まるで整理整頓がされていない部屋のように。その思考自体はまだ言語化できていなかったこともあり、開いたままの本とか食べかけのお菓子とか作りかけの料理のような状態なんだと思う。言語化というプロセスを経て初めて思考は自分のものになるのかもしれない。少なくとも今自分の脳内に散らかっている思考の破片は。

 ちょうどここ最近、生活のリズムも落ち着いてきて、規則正しく生活を送れている。そのかいもあって、以前よりはメリハリのある生活ができている。その過程で、今までルーティーン化していた朝活にも少しバリエーションを増やしてみた。2日に1度は早めに家を出てジムでトレーニングをする。ジムに行かない日は、「ラテアートの練習をする日」「焙煎をする日(豆がなくなった場合)」「ブログを書く日」といった具合に、やることをその時との時で変えることにした。ちなみに勉強と読書はどの日も必ず手を付けるようにしている。そして今日はブログを書く日。家を出るまでの間だから書ききるかはわからないけど、書けるときに書いて言語化をしておきたい。実際、書く、という行為それ自体で自分の頭は整理されてスッキリするし、重ねていくことそれ自体は自分にとって必ずプラスになるものだと信じているから。

「味」について

 わたしは、料理やお菓子作りが好き。そんなに上手ではないけど好き。そもそもわたしが実家を出て一人暮らしを始めた最大の理由が「自炊したいから」なくらいには好き。そして以前の記事にも書いたとおり、諸々の経緯を経てヴィーガンになった結果、今はヴィーガン料理、ヴィーガンスイーツ作りの腕を上げるべく日々精進している。作ったからには食べるし、その過程で味を感じる。その「味」についてだけど、わたしは今まで味を感じるのは舌であり、舌が送る甘いとか辛いとか苦いとかを脳に送る信号、それが味だと考えていた。

 先月位に、わたしはヴィーガンスイーツとして、アボカドやカボチャといったボリューム感や甘みのある野菜(アボカドは正確には果物らしいけど)をメインに扱ったクレームダマンドをタルトの生地として、キウイやイチゴといった酸味溢れる果物をデコレーションしたタルトを作った。実食時の感想に「アボカドやカボチャの甘み」が果物の酸味とマッチングして甘い・酸っぱいを越えた旨味になっていた、といった旨の発信をしたところ、ある質問が飛んできた。

「アボカドの甘味っていったいどんなもの?」

それを見て、自分の中の「味」感は広がりを見せた。今まで全部舌の味覚からの信号だと思っていたものが、別の感覚から発せられたものなのかも、といった考えに自分がフォーカスを当てるきっかけを貰えた。なるほどわたしはアボカドの味、というものを甘味と感じていたけど、この発言者はアボカドを食べることで舌の味覚から甘い、という信号を発するわけではないということ。人によって感じ方はそれぞれ、というだけのことかもしれなかったけど、そこでわたしは「舌の味覚以外に味を感じられる何かがあるのではないか」と考えた。だってわたしもそのアボカドの甘み、を舌の味覚によるもので言語化することがぱっとできなかったから。

そして色々考えた結果、アボカドというのは「森のバター」と評されるほどの肥沃で上質な脂質からくる滑らかな舌触り、それがわたしには「甘味」と感じられた、つまりは舌の「味覚」ではなく「触覚」から甘味を感じていたんだという考えに至った。そしてそれが「甘味」になるのは、アボカド単体ではなく、カボチャや酸味あるフルーツといった食べ合わせの対象の持つ特色と合わさる時であり、それらを引き立てつつアボカドの食感がクッションのような柔らかさを持つ、その柔らかさが味覚の「甘味」とはまた違った触覚による「甘味」になる。そう考えるようになった。

それからまた別の日、わたしが朝食にサンドイッチを作った時、キノコをソテーにしたものとレタスに加え、キノコにオレガノをかけてサンドした。オレガノをかけない時のサンドよりもキノコの風味もレタスのシャキシャキした食感も引き締まるような味わいになったように感じられた。これは、オレガノが持つキノコや葉物野菜とかみ合うことで発せられるスパイシーかつジューシーな香りによるものかもしれない。先日のアボカドの一件を通して「味」が味覚からだけで決まるものじゃないという考えに至れたからこそ思い至れたことだと思った。

今では、「味」を作るものは、調理により引き出される食材や調味料の組み合わせによる「味覚」による甘い・辛い・苦いといった信号だけでなく、舌の「触覚」により感じられる食材とその調理方法による舌触りや食感、そして調理によって引き出される食材やスパイスが発する「香り」を「嗅覚」がキャッチする。そういった五感で感じ取れるものすべてが噛み合うことで生まれるものが「味」なんだということが、自分の心でようやく理解できたような気がした。

実際、こんなこと料理人の間では常識も常識なことなのだろうけど、それでも理屈で知ることだけでなく、自分の実体験により自分の「心」が理解することも改めて大事であり、それらが合わさってようやく自分の「知」になるのではないか。それをこの「味」の一件では感じられて、改めて「知」には見識や知識、それに加え自らの「感動」も大事だということを実感した体験だった。そしてこれから、将来に向けて自分の料理の腕をそれら五感で感じられる味わいにできるように鍛えていく必要があるな、と決意を新たにしようと思えた。

普通にこの一つだけで大分長くなったので、他の未整理事項についてはまた別の記事でやろうかなって思う。

P.S.書いているうちに「あれ、これこうなんじゃない?」って思うことも色々あって言語化ってやっぱ楽しいなって思った。

タイトルとURLをコピーしました