日本民藝館企画展「朝鮮民族美術館設立100年記念 柳宗悦と朝鮮民族美術館」へ行って来た

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先月はまともに美術展に行けなかったので本当に久しぶりの美術展。とりあえず期日が迫っていたので根津美術館で興味を持った朝鮮美術の企画展へ行ってまいりました。
感想としては、朝鮮工芸や朝鮮美術の生活に根差した一体化した存在感を感じられた一方、先の西洋美術館の企画展と同じような、何かぬぐえないものが首をもたげるような、そんな感覚が抜けない体験となりました。

生活に根差した柄やデザインが落ち着きを感じさせる朝鮮工芸

本企画展は日帝占領下の時代に朝鮮工芸に魅入られ、その研究と朝鮮民族美術館の設立等を行った柳宗悦の企画展ということで、展示のほとんどは青磁、白磁の陶器となっておりました。陶器のトーンって、西洋の什器みたいな純白とかじゃなくてうっすら青みがかった、どちらかというとペールブルーに近いトーンなんですが、それがかえって優しさを感じ落ち着く色合いでした。またそれがかえって、生活に根差している感が出ておりました。その生活感は、柄のモチーフにも表れておりました。頻繁に用いられていた柄は、鉄砂草や辰砂草、百合のような白花、蔦、鳥などで、特に花と鳥は一緒に描かれていることも多かったです。花鳥風月とは言いますが、その花鳥が朝鮮工芸にはよく用いられていた感じでした。また、蓮華も多くつかわれており、水鳥とのセットが多かったです。とはいえそれらが絡み合ってるとかそういうわけでもなく、それぞれがそれぞれ存在している、といった構図になっており、そこもまた生活感だなあって感じでした。
そして驚いたのは、19世紀に既に朝鮮の化粧具セットも白磁で作られており、そのデザインも花、蔦、辰砂草などシンプルながら遊び心と気品のようなものがあり、これが今の韓国コスメの先駆けと思うとワクワクしました。
また、動物の絵も、神々しさとか人間との主従とかそういったものではなく、ただ動物が動物として存在しているだけ、といった感じのものが多かったです。それだけ動物という存在は近くも遠くもない、しかしそこに確かに存在しているもの、といった感じなのでしょうか。
ちなみにこの手の美術館としては珍しく、解説らしい解説は一切ありませんでした。そのため、基本的に全部自分の想像で喋っています。

朝鮮民族美術館の意義について

その一方で、どうしても自分の胸の奥に重くのしかかっているものもあったりしました。それは、その朝鮮民族美術館の意義について、自分の中ではまだまとまらなかった、といった感じです。おそらく私がまだ柳宗悦については表層的なことしか知らないから、というのもあるのでしょう。
今回の企画展で、私は朝鮮工芸が朝鮮民族の生活に根差した確かな存在を放ち続けたものだということを現物を前にしてその一端に触れることができたと思うし、それらを埋もれさせず、確かに存在するというのを世にはなった柳宗悦、浅川伯教・巧兄弟らの功績は唯一無二の者であると思います。先人たちの尽力なしに私がこれに触れることはできなかったのですから。
しかしその一方で、館内VTRで見た感じだと朝鮮民族美術館の館長はやっぱりというべきか占領者であった日本人が務めていたらしく、現地の人を運営側に入れない民族美術館ってそれ文化盗用か何かじゃないのか?といった気持ちが自分の頭に過ぎっておりました。断っておくと、私は柳宗悦も浅川兄弟のこともはっきり言ってほとんど知らないので、表層的に見たらこういった感想が浮かんだのです。5月に行った西洋美術館の企画展でも「文化は簒奪の歴史であり、そういった簒奪性の存在と向き合う」というものは示されていたのを思い出しました。それは「所詮文化の尊重だのなんだの言っても結局はそれを簒奪して美味しいものだけをすすろうとするんだから悪なんだよ」と言いたいわけじゃなく、「文化やその尊重というもの自体は悪ではないが、しかしそれらには簒奪といった暴力性が少なからず存在する、ということは念頭に置く必要があるんじゃないか」ってことです。館内のパンフというかチラシに「芸術こそ日本と朝鮮の人々の心を一つにするという信念のもと」だとか「両国の心を結び付けた稀有な美術館」だとかあったんですが、確かに柳宗悦や浅川兄弟はそういった信念のもと動いていたのかもしれませんが、それをかつて占領していた側が「朝鮮文化を尊重してあげた」みたいに言うのはなんかモヤモヤ、というか納得いかないなあって感じたのです。正直この辺は私の中の知見があまりに不足していて、その手の本を読んで知識を得ないと何とも言えないんじゃないかなって思いました。前に気になっていた小田原のどか氏の「この国の芸術<日本美術史>を脱帝国主義化する」というものがそのカギになるんじゃないかなって。
とはいえ、最初に述べたとおり、柳宗悦や浅川兄弟が設立に尽力し、朝鮮全土を回りその工芸品を破片でも集めてそれらを美術館という形で日の目を浴びるようにした、という功績は決して揺らぐことはないと思います。それらを作り、それらと共に生活した朝鮮の人々とその人たちが形作っていた文化が確かに存在していた、ということの揺るぎない証明となるのですから
まあいずれにせよ、文化とそれを見つけるもの、見つけられるもののパワーバランスが引き起こす問題などは、正直もう少し自分の中ではしっかりと向き合っていきたいなって思っています、より楽しく、より深みに入って、より自分に還元されるような審美眼を美術館巡りを通じて得たいと思っているので。

余談

今回、企画展と連動した特別展示で先の浅川兄弟が朝鮮全土を駆けずり回って収集した朝鮮陶器の破片やほとんど破損のない作品などが展示されておりました。破片って、そこからかつてはどんなものだったんだろうって想像を巡らせられるのもいいですよね。
あと帰りにカフェに寄りましたが、そのカフェ、私の記憶が正しければ使用しているカップやグラスが全部店主が作ったものらしく、陶芸家としての経験を経てカフェ経営を始めた感じでした。いや凄い。コンセプトのスケールが大きすぎた。好みのグラスがなければ自分で作っちゃえのストロングスタイル、実に恐れ入りました。あとオートミールのクッキーをいただいたのですが、それもまた自分の今後のお菓子作りにいいアイディアを提供してくれそうです、なんせそのオートミール、ほとんど粉上になっておらずほぼ素の状態で作られていたのですが、レモンとの絡みあいとか見応えで実に旨味がにじみ出る逸品となっていたので、オートミールの使い方により幅の広さを感じたところでした。

とにかく、ちょっと暗い話題も出しちゃいましたが、総合的に素晴らしい体験となりました。どっちにしろ自分がこの先を向かうにあたってはどれもプラスですからね、すべて自分が究めていくべきものですから。

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