この時期、行きたい美術展が多すぎる。
ってことで、公開期限が一番迫っていた東京都美術館で開催の「デ・キリコ展」に行ってまいりました。
実を言うと、私はこの企画展に行くまでジョルジョ・デ・キリコという画家については全く知らなかった(というよりもそもそも美術全般の知識はほとんどないと言っていい)ので、キービジュアルのイメージ的にシュルレアリスムなどと関係のある画家なのかな、って感じのイメージでいました。どうやら彼の形而上絵画はそのシュルレアリスムの画家に多大な影響を与えたらしく、かのサルヴァドール・ダリもその一人だったんだとか。
結論を申しますと、前に行ったブランクーシ展とか西洋美術館の企画展とかシュルレアリスム展とかここ最近見えるものだけでない超越的なものや概念的なもの、存在そのものが放つ形なき何かをアートという形にすることで自らが放ち、感じる存在を表出する、ってアートが最近自分の中で熱いので、そういう意味で今回の企画展も、その流れをしっかりくんでいたなあって感動しました。
我を貫いたアーティスト、デ・キリコ
とりあえず企画展及び略歴を通してみた感じのジョルジョ・デ・キリコに抱いた感想はこんな感じでした。
キリコの代名詞ともいえる形而上絵画というのは、率直に言うと夢に出てきそうな作風の、砂漠とか広場とかに似つかわない小さな部屋や幾何学の道具やら石膏像やらが敷き詰められてるような作品などがあり、配色も赤い塔と緑の空、といった中差色相配色のような中々にアンバランスな配色を多用するなど、どこか深層心理のような不安定さ、無秩序さを感じました。砂漠に人工物と箱庭のような部屋、というのはサルバドール・ダリのようなシュルレアリストの作品にもよく用いられていた舞台でしたが、キリコの形而上絵画はその先駆けともいえるものでした。
そんな後世の新風を巻き起こしたアーティストたちに影響を与えたかと思えば、その後は当時のトレンドが自分の作風を受け入れないような状態になれば、時流には乗らず、あえて時代に逆行した写実主義的な作品やアカデミズムでも頻繁に用いられていた静物画などを多く描いていた時代もあり、その時代の作品を集めたエリアもありましたが、形而上絵画とはほぼ別物と言っていいもので、本当に同じ作者が書いたのか?と思わせるレベルでした。
なにより、企画展最初のエリアはキリコの自画像エリアだったのですが、その時代に逆行していた時代の自画像は、秩序への回帰、ルネサンスの石膏像を思わせるような彫りの深い顔立ちに荘厳な服飾というものでした。そしてその目つきはどこか挑戦的で、マッシブかつアグレッシブな雰囲気とトーンの色使いも相まって、「これが私だ文句あるか」と言いたげな存在感を放っておりました。
だからこそ、企画展を通してみても、ジョルジョ・デ・キリコという人は、時代に迎合せず自分が良いと思ったものに素直な我を通した芸術家だったのかな、と思いました。
マヌカンの美しさとおぞましさ
そんな夢に出てきそうな形而上絵画の後に来るのがキービジュアルにもなっていたマヌカン(マネキン)であり、この時代のキリコ作品の人間は全て顔がツルツルのマヌカンになっていくのですが、このマヌカンの顔のライン、どことなーくブランクーシのミューズのような均整の取れた美しさを感じてしまいました。光や影を温かく描く必置でマヌカンを描くと、より質感が出てその存在感を増しているように思えました。彫刻で作るマヌカンも、筋肉の再現はあまりせず、人の象りと、本質的な造形に終始しているように思えました。キービジュアルでもあった「形而上的なミューズたち」は、形而上的室内要素が背景に強く出ており、マヌカンにも色味があり、この楕円形の顔でミューズと言われると、やっぱりブランクーシの「眠れるミューズ」を思い出しますね。神性と本質の融合のような美しさを感じました。
その一方で、そのマヌカンが生まれた経緯を考えると、その美しさの裏にあるおぞましさも感じずにはいられませんでした。マヌカン作品が出始めたのは1918年近く、つまりはWW1が終わった辺りです。マヌカンはそれまでキリコが手掛けてきた古典性や個人性を排したものであり、戦争のファシズム性を感じていたのかもしれないなって思いました。そこでは過去の積み重ねとか個々人のパーソナリティとかは全部均質なものに置き換わってしまうというかなんというか。あと貞淑な花嫁ってタイトルで物言わぬマヌカン使うのも相応におぞましかったです。形而上絵画時代の夢に出てきそうな不安定な空の色とか過去作のモチーフとかもしっかりと継承しており、より深層心理的な作品に近づいて行ったなって感じでした。
自分の作品への誇り
そんな色々と作風は変化を重ねていったキリコですが、後年の作品はリブート、というのでしょうか新形而上絵画と呼ばれる時代の作品は、過去の形而上絵画やマヌカン、古典回帰を総集編のごとく色々な組み合わせで再構築した作品が目立ちました。つまり、キリコにとってはどういう経緯で生まれたにせよ、自分のこれまでの作風の歴史全てに誇りを持っていたんだなあって感じました。そしてそれらを再構築することで、外へ発信したり外の刺激を取り入れるというよりも、自己との対話に重きを置いている、そんな印象を受けました。
以上のように、自分の人生ともいえる画家人生で積み重ねてきた酸いも甘いも後悔なく晩年も対話を重ね、自分と自分の作品に誇りを持ちつつ哲学的思考も持ち合わせている凄い画家の企画展を見られたこと、私は本当にいい経験をしたなって思えました。こういうのがあるから美術展巡りはやめられないんですよねえ。んで美術展をめぐってこんだけ大きな感動を得られるとどうなるのか。そう、次の美術展に行きたくなるのです。
ちなみに、都美術館で今やっているもう一つの企画展も実は目をつけているのですが、キリコ展行ったときは朝の時点で疲労がえぐくて当然キリコ展出た時点で限界がきており、こんな状態でアートと向き合うのは失礼と思い万全な時にじっくり見に行こうと思いました。幸い今科博でやってる昆虫展も興味あるからその時に一緒に行こうかな・・・
