週末と色々

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8月が終わりいよいよ9月となりました。1年で言うといよいよ佳境のCパートといったところでしょうか。この土日、台風の影響で雨が凄かったわけですが、なんか奇跡的というかタイミングが運命的というか、私が外に出るタイミングでは雨があまり降らず、結果として日常を守れました。土曜日の美術館巡りも、日曜日のスイーツ作りも珈琲問屋への買い出しもジムトレも全部できちゃいました。
何かここ最近、運命めいたことを感じることが多いなって思ったりします。前述の雨のタイミング抜けての予定通りの日常もそうですが、前にTwitterで話したんですが、地下道に入る時、後ろからキャリーケースがすごい勢いで落ちてきたんですよね。それは幸い私のすぐ隣を転げ落ちて行ったので私は無傷だったのですが、多分これ、後ろからぶつかられたらただじゃすまなかっただろうなって感じでした。ぶつかった衝撃もそうですが、その結果階段から落ちたらまあ大けがは免れなかったろうなと。でも結果的には無傷だった。なんか、なんやかんやあっても結局今の自分は生かされているのかもしれないな、そんな風に思うわけです。んで生かされているからには、やっぱり自分が信じる正しいと思う道を進みたい、そう思うわけですよ。

能書きが長くなってしまいました。ひとまず自分の週末の話をする前に、今日9月1日は私にとって決して見過ごせない記憶の日なので、今年におけるその記憶を、ここに記録します。明るい話ではないので、見たくない方は目次からスルーをお願いします。

明るい話ではないので、見たくない方はスルーをお願いします。関東大震災の話です。

関東大震災、そして虐殺

今から101年前の9月1日、言わずと知れた関東大震災が起こりました。そして、その恐怖心に付け込んだデマの吹聴により、多数の朝鮮人が虐殺されました。朝鮮人だけじゃありません。混乱に乗じて共産主義者や社会主義者、アナーキストといった思想家も逮捕、拷問の末に私刑による虐殺に遭いました。社会主義者でアナーキストの伊藤野枝や大杉栄、その甥である橘宗吉が甘粕正彦率いる憲兵隊に虐殺された甘粕事件なんかは有名でしょう。
差別とヘイトが行き着く先が一体何なのか、この悲惨な虐殺はそれを端的に表しているのです。これは歴史が証明していることであり、だからこそ朝鮮人の虐殺や思想弾圧が震災に乗じて行われていた、ということは風化させてもラッピングしてもいいものでは断じてありません。かつて起こった過ちから決して目を背けず、その事実を後世に伝えていくことは、今を生きている者たちの責務です。
大変嘆かわしいことに、その事実をラッピングした挙句向き合うことを、時の為政者が率先して拒否することで風化させようとしている実態は、今も変わっていません。
とはいえ、全く絶望的ともいえないと思えたニュースもありました。東京は相変わらずでしたが千葉の方は一部の市長だけでなく、県知事が追悼を送ったとのことでした。これを以てして、各市長や県知事の内心がどうとかを推し量るつもりは断じてありませんし、そんなことは不可能だと思っています。しかし、公の場でかつて起こった悲惨な虐殺に対して、今を生きる人々から公的な責務を託された為政者が、追悼の意を送ったという事実は、それがなかった今までと比べると確かな前進だと思います。
とはいえ、インターネットでは相変わらず、何かしらの災害(特に地震)が起こると、面白おかしく「外国人が井戸に毒を投げ込んだ」とか「外国人窃盗団に注意」とかの事実無根のデマが平気で拡散され、そんなデマにたくさんのいいねが点くのが現状です。発信した当人は面白半分だろうが、意図がどうであれそんな差別意識からくるデマの吹聴が行き着く先が、かつての虐殺なので、そんなことが許されることがあってはなりません。たとえジョークだろうとネタであろうと、その「ネタ」とやらで面白おかしく消費される対象である外国にルーツを持つ方々は、そのデマを仮に誰かが真に受けて自分たちに憎悪や危害を向けて来たらどうする?といった恐怖に晒されるのですから。面白ければそれでいい、は突き詰めれば「自分たちさえよければそれでいい」と同義です。内心で外国の方や思想信条が異なる相手をどう思おうがそれは当人たちの自由なのは確かです。しかし、それはネットだろうが何だろうが公に表出すればもうそれは無制限に許される自由ではなく、それが引き起こす結果に対して責任を負わなければいけません。そして差別やデマの吹聴は、その結果に対して個人が責任を負うことなど到底できない程に大きな被害があるからこそ、許されないのです。
最近のインターネットを見ていると、朝鮮人をはじめとした外国にルーツを持つ方々への差別やヘイトは相変わらずひどいのは事実なのですが、関東大震災の歴史を踏まえると、もう一つの懸念もあります。かつては共産主義者や社会主義者、アナーキストといった当時の(というか今も)主流だった資本主義や帝国主義と相反する、つまりは都合の悪い思想に対してもデマや悪意をふりまいていて、震災の混乱に乗じて直接加害してきたわけですが、都合の悪い思想に対してデマや悪意をふりまく、というのは今も酷くないかと思ったりするわけで(特にフェミニズムやLGBTQ+、ポリティカル・コネクトレス、ヴィーガンなど)。歴史に学ぶことは重要だと思うし、それはただ聞き心地のいい物語だけでなく、負の歴史とも向き合っていかなければいけないのではないか、と思うわけです。

今週末の私:吉祥寺美術館へ行ってきました

このシーズンは見たい美術展が多すぎる。ということで、8月31日には丁度会期が最終日だった武蔵野市立吉祥寺美術館の企画展「かんさつとじかん」へ行ってまいりました。これについては会期この日が最終日の企画展は他にもいくつかあって候補が色々あったのですが、なんやかんや最初にピンときたこれにしようと思って、結局初志貫徹しましたが、運命ですね、本当にいってよかったと思えました。
詳細は長くなるので別記事で書きたいと思いますが、今回のメインコンテンツである荒井真紀氏の果物や野菜、植物の水彩画(!)のような、毛一本すら見落とさない緻密な作品、当美術館の収蔵品にあるような、目にはうちらないものや自分の内部に湧き出る概念を筆圧や色遣いにのせていく油彩画や水墨画、明暗の変化の使い方に個性を出し、くすみのあるトーンで質感を出す技法を駆使する作品、印象派的な強めの筆圧と線、厚塗りで立体感を出す作品など、様々な画家による「かんさつ」の成果が所せましを肩を並べておりました。特に荒井氏の作風に関しては、見る前は「正確に対象物を再現するだけなら写真でよくない?」とも思ったりしたのですが、いざ実物を見てみるとそんな考えは一瞬で吹き飛びました。対象物を事細かに観察し、その成果を対象物とそれを取り巻く周辺物に限定して絵に表すことで、今まで当たり前に見てきたものがまるで別のものに見えてくるような、新たな気付きを得られる、そんな作品でした。これは子供の教育絵本の挿絵のようでしたが、子供視点だからこそ、発見や気付きを大事にした作品なんだなって感じました。やっぱり長くなりそうだから別記事書きます。吉祥寺結構遠かったけど足運んでよかったです。

今週のお菓子:ローズマリー香るオートミールクッキー

そして今週は宣言通りオートミールクッキーを作りました。レシピ本ではオートミールの種類はなかったので、持ってる中で一番栄養価の高いロールドオーツ(インスタントやクイックの加工前のやつ、目が粗いよ)を使いました。また、粉はお菓子によく使う薄力粉や全粒粉じゃなく、地粉という中力粉の一種を使いました(まあ全粒粉も使ったのですが)。
こないだ作ったアーモンドクッキーと比べると、ちゃんと生地は練れたのか、型抜く途中で崩れたりとかはしなかったのですが、その分火が通りやすかったのか、オーブンにかけると一部は消し炭となってしまいました。もうちょっと厚めに生地を練った方がよかったかもしれませんね。
んで味なのですが、まず口に入れると最初にローズマリーの香りが口いっぱいに広がり、エレガントな気分になります。そこからオートミールの噛み応えある食感が重なり、噛めば噛むほどレーズンやピーカンナッツの旨味が出てくる、そんな遅効性の美味しさでした。その一方で甘さは控えめなので、これもまたカフェラテやカフェオレのようなミルク多めの飲料との相性は良好ですね。抹茶ラテとも合いそうです。
今度はレモンやオレンジを混ぜたオートミールクッキーも作りたいし、コーヒートーク2のバタフライピーやハイビスカスも合わせてみたいものです。

ラテと珈琲問屋

えー、ラテは絶賛停滞期です。

今はこんな感じの行ったり来たりしています。これはミルクが軽すぎた感じですね。
今まではミルクが重すぎたせいでそもそもラインが出なかったりだったので、随分と両極端を行っております。でもラインが出るということは全く目がないというわけでもないということだとは思うんですよねえ。ちなみに今日の昼は豆が足りずスチームもびみょかった結果惨憺たる結果だったので、やっぱりその辺も手を抜いてはダメだということを再認識させられました。

今日、珈琲問屋に行ってきて改めてエスプレッソ用の豆を300グラム買ってきました。これで、試したかった「一日に何杯かラテ練習をして、飲みきれないラテをパンナコッタ風スイーツにする」という試行回数増幅計画を、来週末には刊行してみたいと思います。これが上手くいけば、試行回数を多くできるので、前よりも練習効率も上がると思います。それにまだ見ぬスイーツが楽しみなのです。

おまけ

これ描いてる途中で、今自分とあるヴィーガン入門書を読んでいたのですが、そこで衝撃的な記述がありまして。どうやら著者的には、栽培方法や労働問題、環境負荷の観点からバナナ、チョコレート(カカオとかか?)、コーヒーはアウトらしい、と。

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何、だと・・・?

目の前が真っ暗になりそうでしたよ、ええ。自分の夢がそもそも矛盾している、と言われたような気分でしたから。

とはいえこうやって短絡的になるのは良くない、ってことで色々調べた結果。

スペシャルティコーヒーならば、大抵はサステナビリティやトレーサビリティが認定の際には審査されているはずなので、自然環境への配慮や労働にまつわる人権問題などはクリアされているはず。それに今はシェードツリーといった水分を過度に消費しない栽培方法もあるらしいから、スペシャルティコーヒー及びその生産者は、当然にコーヒーによるそういった問題は認識している以上、それに対して全く対策をしていないわけじゃない。そういった対策を取ってなお高品質な世界で5%のコーヒーがスペシャルティコーヒーと呼ばれるものなんだと。

もちろん、今はなんちゃってスペシャルティもあるので、スペシャルティだからと言って考えなしに買うのはアレですが、少なくともコーヒーは全部だめ!ってわけじゃないらしいからとりあえず安心しました。

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