9月に入りました。金銭面の幸先は相変わらずですが本をすでに3冊読み終えたので、インプット面は幸先が良いのかもしれないな、そんなことを思っております。一冊一冊感想を書くのもアレなので、せっかくだから今回はひとまとめにしておこうと思います。
検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?
去年あたりにだいぶ話題になっていた岩波ブックレットの一冊。岩波ブックレットにしては結構厚めでしたね。
結論から言いますと、歴史学から見たナチスに評価できる点は「ない」、そして、この本では「ナチスはいいこともした」といった「中二病的な反抗」についての検証と対策についてが論じられており、個人的にはそっちの方が重要だな、と思いました。
そもそもとして、「ナチスはいいこともした」言説で出される政策については、
- そのほとんどが別にナチス発祥ではなくナチスの前の政権やヴァイマール共和制の時点で取り掛かられていたもので、それが時間差で効果を出したものにすぎず、ナチスがやったのはそれを大々的に宣伝した、いわばプロパガンダでしかないというものであり、「ナチスはいいこともした」というのが一面的にモノを見ているだけの、もっと身もふたもないことを言うならば「都合のいい部分だけを切り抜いただけ」に過ぎない。
- それらの目的が、「民族体」といういわば強烈な帰属意識を持たせるためのものであり、そこに所属する者の一人でも「健全さ」や「純粋さ」が損なわれればそれは民族全体の損失である、といったとんでもない全体主義であり、その定義から外れる人たち(障がい者や性的マイノリティ、ドイツ国内の多民族特にユダヤ人など)はナチスの政策の保障の対象からは外されるどころか、その政策でドイツ民族のために積極的に強制労働や搾取、最悪殺害されるなど徹底して人間扱いされていなかったというおぞましい差別構造のもとで「ナチスのいいこと」は支えられていた。
- んでぶっちゃけ大した効果もなかったし、民族体意識の目的も強烈な国家へのロイヤルティ、要するに戦争へのスムーズな動員であり、そのわずかな効果も戦争ですべて吹き飛んでいるのでやっぱり「いいこと」などとはとても言えない
といった有様が語られておりました。これを聞いていておぞましいレベルで対岸の火事とはとても思えない話だなあとは思いましたね。都合のいい部分だけ切り抜いてプロパガンダ的宣伝をするのも、きらびやかな恩恵を受ける人の裏で差別構造の被差別対象が徹底して搾取と略奪に晒されるのも、そんだけやっても大した効果がないのも。特に二番目なんて、差別意識が高まれば高まるほど、それが巧妙に隠されていなかったとしても、知ったとしても「まあ別にいいじゃん」とマジョリティ層のコンセンサスが得られてしまえばもう歯止めは効かなくなるわけで。そういった意識の醸成や止まらないプロパガンダが行き着く先、それを国家が主導で行った場合どうなるか、というのがナチスの姿なのではないでしょうか。
そして、そんな「ナチスはいいこともした」といった「中二病的反抗」のメカニズムについても、身も蓋もないことを言ってしまうと、今のネットチンピラの言動そのものじゃないですかねえ、と思ってしまいました。現在主流となっている定説や条理について疑問を持つのは全く問題はないと思います。それは本書でもそういわれてました。しかし、疑問を持ったのならば検証をしなければいけないんですよ。確かな裏付けもないような、定説に対する反証として都合のいい内容の話を、ただ聞きかじっただけでそれを真実だと吹聴するのはそりゃー今までその定説が定説になるまでの検証と議論を重ねてきた人たちに対してもその事実に対しても失礼でしょうよ。あとは都合のいい部分だけを切り取ってその背景や裏などを全くないもの扱いするのも、その存在をないものとして扱うのと同じですね。
だから、そういった連中のそれは、検証を軽視しているから、解釈を都合よくしているから、中二病的反抗の域を出ない。あとはまあそういった飛んでも説を吹いて回り、それが一定の同意を得られれば、ネットチンピラが嫌う「ポリティカル・コネクトレス」をひっくり返せるのではないか、といった欲求があるのでは、とも推察されていましたね。彼らからすればそれを押し付けられてそれに抑圧されている、といった被害者意識もあるのでしょうけど、だったら検証と解釈怠っちゃだめでしょうと。ただ、そういうチンピラたちの逆張り活動、アンチポリコレ活動は、歴史を振り返ってみても今日も続いている歴史修正主義の問題などを鑑みると放置していい問題ではないので、専門家たちは上から目線で啓蒙ばかりするだけではだめで、「この手の問題にはとりあえずこれを読んでおけばある程度は知れる」入門書のような書籍を著したり、広めたりするなどといった社会の免疫を高める事の大切さも訴えていた。これについては、確かに私も、ラッピングされがちなフェミニズムやLGBTQ+の問題についての入門書と呼べるような書籍を知ったことで、より理解すべきだ、と思えるようになったので、それらがより広く知れ渡るようになる、そのためのことなら自分にも何かできるかもしれない、と思えました。
センス・オブ・ワンダー
農薬と化学物質の脅威を環境保護、種の保全の観点から警鐘を鳴らし、世界を動かしたレイチェル・カーソンのいわば「遺作」ともいえる一冊。
というのは自分は全く知らず、単に裏表紙の宣伝と表紙のキレイさにつられ、新潮文庫の100冊キャンペーンの一冊だったから、という久々に凄いカジュアルな理由で手に取った一冊でした。なんならカーソンの代表作「沈黙の春」も名前しか知らず未読です。
とはいえ、そのいわゆる「表紙買い」は、私にとっては間違いなく正解だった、と言える一冊でした。本編自体は本当に短く吉祥寺美術館へ向かう電車の片道で読み終えられるほどのものでした。カーソンの甥ロジャーが幼い頃の、海や夜の森、岬や浜辺で二人で触れ合った自然との対話のエッセイでしたが、波飛沫や植物が魅せる光の胎動、虫たちが奏でる名もなき協奏曲、五感で感じる自然の息吹を、カーソンが文字で、ロジャーはそれを体いっぱいに感じ取るリアクションで読むものに伝えてくれる一冊でした。自然に触れる、という素朴かつ原始的な営みを、純粋さと繊細さを兼ね合わせて表現しているのが印象的でした。本当に何も考えずに散歩していた時のことを思い出す、そんな一冊です。散歩が好きな人はきっと共感できるんじゃないかな、そう思いました。
私が新潮文庫の100冊で感じたいちどきりのこの夏の感情は、おそらく本書を読んだ時に思い出された散歩のときに感じた言葉にできない穏やかさだったのかも、と思います。沈黙の春もいずれは読んでみたいですね。
今日からはじめるビーガン生活
んで直近に読んだのが、前述した「この手の問題にはとりあえずこれを読んでおけばある程度は知れる」入門書のヴィーガン版になれるかもしれない一冊。自分としては目新しいものはあまりなかったのですが、ヴィーガンは単に菜食主義ではなく、脱搾取の思想であるということ、それに基づいた生活様式であることについてが著者の体験談も交えて論じられておりました。
前に話した私の「奪わず、奪われず」も、この脱搾取の考えと通じるものがあるので、そういう意味では新たな視点、というよりは自分の考えを改めて補強で来たな、って感じでした。あとネットでやたら出てくる疑問点についても触れられており、ヴィーガンになるつもりがない人にも機会があったら読んでみてほしいと思いますね。
とはいえ、動物性食材や素材の産業についての問題点はしっかりと要点を抑えて論じられているのですが、その一方で、バナナ、コーヒー、チョコレートもアウトと言っていながら、それについてはアウト、という結論だけでそれの深掘りが全くされていないというのは画竜点睛を欠くと思ってもいます。結局いろいろと調べて、大量生産的な産業となっているところからは労働問題、環境負荷などの観点から不味いのであり、トレーサビリティ、サステナビリティについて対策を打っている(特に生産者の顔が見えるものであれば大抵はクリアしてる)所からの購入ならたぶん問題はないと結論付けたので、とりあえずコーヒーならスペシャルティコーヒーは基本的にはずれはないと思ってもいいかなって。でもそういうのを自分で調べないと誤解するのは結構罠だなあと思ったりもしました。
といった感じで、とりあえず3冊読んで、今はコーヒーショップ/カフェ開業本とかを読んでいます。前に話した5か年計画のそれなりの規模での軌道修正と具体化を行うかもしれませんねこれは。
