今朝は薄明のような明度の低いグラデーションが美しい朝だった。本当に空が目覚める直前のような、そんな雰囲気が静寂の朝にぴったりだったな。こういう太陽が大地を起こす前の空を見られるのも早起きの得した三文だなって思える。それくらいの余裕はあるので多分わたしはまだ大丈夫なんだと思う。
今日は、「自立」ってなんなんだろうなってことを考えていた。わたしの中での自立には物理的な自立と精神的な自立の二つがあって、前者は「生殺与奪の舵を誰かに握らせていない状態」だと思っている。もっと具体的には、例えば特定の存在に見放されたり、その存在を自らが切放したりしたらその先生きて行くすべがなくなるか著しく厳しくなるって状態。この資本主義社会だと経済的なものが一番強いんだと思う。だから、扶養されていた状態はそこからほっぽり出されて食べていくだけの就労ができるような状態でないときはそれは自立できていないってことなんだと思う。そして後者は、「自身の心理状態が特定の存在の挙動によって振り回されない、心情の上がり下がりが特定の存在に依拠していない」状態なのかなと思う。今だと何か好きなアイドルでも漫画でも作品でも何でもいいんだけど、それらの先の展開だったり言動だったりで自身の精神もそれに連動して上がり下がりしてしまい、それが大分長続きしてしまったりその後の生活にも影響が出てしまう状態。これは精神的に自立していない状態なんじゃないかなって思う。
わたしは、親の扶養に入っていた時は、一刻も早く自立したかった。だから就職してある程度の収入が貯まったら即座に家を出た。とはいえ、結局それは自分の経済的な生殺与奪を握るのが親から企業に変わっただけなんじゃないかと思ったりする。違うのは、その企業がわたしを切り捨てたとして、次の就労先を探すか、いっそ自分で事業を始めるかといった選択ができることだと思う。つまり今のわたしは、確かに勤め先に経済的な生殺与奪は握られているけど、それで切られたらもうどうしようもない、わけではないから多分経済的に自立はしている。しかし、経済的な舵を握られている以上、企業とわたしには明確な支配従属関係がある。わたしはその支配従属関係を抑圧と感じているから、なるべく早く自分の事業を立てたいんだと思う。それが理由の一つにもなっているんだと思う。多分家族にも大なり小なりその抑圧を感じていたんだと思う。でもそれは親がわたしを抑圧するような存在だったからというわけじゃなくて、その構造自体に抑圧性があって、わたしはそれにも耐えることができなかったってだけのこと。そしてそもそもわたしの存在自体が、親(特に母親)にとってはどうだったのか、それは今でもわからない。
精神的な面は、正直大分自立できている。確かに今世界で起こっている、イスラエルのジェノサイドは怖い。そのジェノサイドに対して見て見ぬふりする欧米諸国とそれに連なる国の日和見具合も怖い。そんな悲惨が起こっているのにそれを存在しないかのように過ぎていく日常が怖い。社会の多数派以外の存在を周縁化する実態も怖い。その周縁化された存在にスティグマが押されたら、その存在が排除、加害、暴力の対象となるのも怖い。でもそれは当然だと思うし、その恐怖を抱えて、それでもそこで引っ込まないようにして生きて行くのも、昨日も少し話した勇気の形だと思うから、この恐怖は大事にしたい。忘れたくない。要は、特定の人とか存在とかが何を言おうが何をやろうが、それがわたしの精神状態の舵を動かすことはないってこと。ああ、そうなんだってだいぶ俯瞰して見られるようになったってこと。その存在もまた一個存在だと思うし、わたしもまた一個存在である。だからその舵は自分が握ればいいし、どこかで交差することがあるかもしれない、それくらいに捉えるのがちょうどいい距離感なのだろうって思えている。あとわたしは、自立していようがしていまいが、それ自体が人の優劣とは全く関係ないものと思っている。自立していきたいって言うのは、少なくともわたしはわたしがそうしたいから目指しているだけで、自立していないという生き方を、あえて選んでもそれでスティグマを押されるいわれはないと思っているし、そのままに生きられるのが理想だと思う。あくまで自立は自分がやりたいことかどうか、その一つなんじゃないかなって思う。わたしはそこにある抑圧が嫌だから自立したいってだけだしね。
とにかく今日はちょっと恐怖を感じることも多くてしんどかったな。明日は少し気ままに過ごせたらいいなって思う。そして地球と共にあるすべての存在にとってもそう在ってほしいなって思います。
