読書記録「愛されなくても別に」武田綾乃:著

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えー実は先週の土曜、献血に行って来たんですが不幸にも針が神経に行ってしまい、現在左腕に麻痺と痛みがある状態でございます。んで、そのための病院に通院する際めっちゃ待ったんでその時に読み終わったのがタイトルの小説です。どうやら作者の武田綾乃さんという方はアニメ「響け!ユーフォニアム」の原作者だそうでそれは後で知りました。この作品の方を先に知ったので。「ピエタとトランジ」が大好きな自分としてはシスターフッドの小説を探しており、代表的なシスターフッド小説のひとつらしく、積み本となっておりましたがようやく読み終わりました。

愛の名のもとに搾取され続けてきた少女達が、互いに生きていく話

本作を端的に言うならば、見出しのような作品、と思いました。主人公の宮田は浪費家の母と二人暮らし。大学の学費も生活費も自身で稼がないといかず、生活のほとんどをバイトに充てていました。離婚した父からの養育費は払われてないと本人は思い込んでおり、奨学金ももしもの時のために使わずとっておくも、それは最悪な形で裏切られました。それでも宮田は昔母に育ててもらったことと、母の「愛している」とたびたび言われていたことから母からの愛という名の依存から抜け出せずにいました。そしてもう一人の主人公である江永は、父親による性的虐待を受け、母親にそこから連れ出されたものの生活の当てがなく、結局娘である江永にセックスワークで稼がせるも、自分が何をさせられてるのか気づき、自分の自由すら認めない母に愛想をつかした江永は家を出るが、そこでも父親の過去が彼女について回り誰ともかかわらなくなりました。本作は、経済的に親から搾取されてきた宮田、性的に親から搾取されてきた江永という、逃げ場もなく搾取され続けた少女たちが、ふとしたきっかけで出会い、関係を築いていき、心を開いていく、そんな話です。逃げ場がなかった二人が、初めて自分を見てくれる存在を認識し、その居場所を作るというのが大まかな流れでした。江永が宮田を意識するきっかけは、ネタバレになるので伏せますが、本当に何のこともないただの言葉でした。それでもそんなただの言葉でもそれが色々追い詰められた人にとっては救いになりうる。そしてそれが回りまわって、その人の居場所になる。その流れが運命めいたものを感じつつも、自然で美しかったです。

というより、ただの言葉でも嬉しい、というのは自分もよく感じることではあります。相手はそんなに御大層な意識を向けたものでもないのかもしれない。それでも、自分がずっと意識してこなかったこと、深層心理で意識があり、欲しかったことがストンと収まるような言葉がある。きっと江永が宮田にかけられたただの言葉もそんなものだったのでしょう。そしてそういう言葉って、本当に予期せぬタイミングで掛けられるのだと思います。だから、相手が覚えていようがいまいが、そんなただの言葉でもその言葉によって、自分の心にかかった雲が晴れることだってある。この話は、そんなシーンを綺麗に描いておりました。

愛と言葉がもつ呪い

一方で、本作はそのただの言葉が誰かの救いになることもあれば、誰かを縛り付ける呪いにもなりうるということも描いておりました。まず、そもそも江永と関わる前の宮田が母にずっとかけられていた「愛している」。この言葉が彼女にとってはずっと呪いになっていました。彼女もその言葉を疑わず、宮田もまた母をその言葉を受け止め愛していました。しかし、その「愛」にかこつけて、母は娘に生活のほとんどを依存し、その一方で大学進学を認めなかったり、宮田が稼いだり用意したお金や、宮田のために用意されたお金すらも我が物顔で使いこんだりします。しかもたちが悪いのは宮田自身は母の愛を疑ってないから、宮田だけでは決してその事実すら知り得なかった、という点です。「愛」が宮田を逃げ場のない搾取構造に落とし込んでいたと言えました。

また、宮田と江永は互いに関係を築けましたが、その一方で同じく親に縛られながらも彼女らのような信頼関係を作れなかった木村という少女も描かれております。木村は、宮田や江永と違って経済的にも裕福で、親からも搾取されるような仕打ちは受けておりません。しかし、大学内で友達もおらず将来への不安からいわゆるカルト団体に足を踏み入れてしまい、どっぷりとはまってしまいました。そのカルト団体の長や木村を勧誘した先輩の美辞麗句もまた、木村の孤独に付け込んだ「呪い」のようでした。そういった言葉は、響きこそいいものの、結局のところ孤独で愛情に飢えた人間から思考を奪い、彼女らが自らの意思で愛情を施す主体相手に奉仕するように見せかける搾取の構造に落とし込むこととなる。その愛情を与える人たちは本心から愛情を向けてるのかもしれないが、結局それは本当の意味で孤独な人間たちそのものを見ているわけではない。だから、愛情を向けられる、ということだけを望み、求めてしまう人間にとっては言葉というのは呪いにもなりうるのかもしれないとも思えました。宮田と江永は愛情を求めていた、というよりは愛情による搾取から抜け出し、搾取の伴わない愛情を向け、向けられる存在と出会えた、といった感じでしたから。

強者の理論

宮田のバイト先には、堀口という留年生の先輩がいる。堀口はTwitterとかで見るようなアンチフェミニストそのものなミソジニーむき出しの言動や自分に依存する女性とばかり付き合いセックス好きを公言したり、やはりTwitterでよく見る自己責任論を意気揚々と振りかざし、自分は家で比較されて育っただから努力して頑張ってるアピールを欠かさないという、ここまで描いたら擁護の仕様のないアレな人ですが、かと思えば社会問題を他人事だとは思うべきじゃないという真っ当なことを言うこともあったり、終盤では宮田に打算無しの気遣いをしてくれたりと、ただのアレな人ではない感じに描かれていました。が、それを宮田は「堀口の言動は基本的に強者のそれ。彼の視点には弱者の存在はない」「堀口は自分への努力のハードルが極めて低いし、それを平気でひけらかしてそれ以外の人にはそれ以上の努力を求める」とバッサリと切り捨てていた。なるほど確かに、日々の生活の糧を得たり人生が抜き差しならない状況にある人にはそのことで精いっぱいというのも無理ないし、そんなことを考える必要のない堀口の理論は強者のそれなのだろう、といった感じでした。そして宮田や江永の立場からすれば、大抵の人は強者の側に位置します。だからこそ、強者の立場にあるという自覚とそんな人ばかりではないという自戒は忘れたくないなーと思ったりしましたね。だからやれることは果たしたいな、とも。

生きていく、案外死なないから

とまあ、シスターフッドらしく、既存の競争社会や男社会にたいしては決して迎合しない少女達を主眼に置いた話で、「ピエタとトランジ」や「ババヤガの夜」のようなバッドガールのバイオレンスとは別ベクトルでそれらの既存権威に世界のフィンガー「くたばりやがれ」を突きつける、読後感が爽やかな一冊でした。

ちなみに、自分が作中で刺さったフレーズは、生きるのが好きか宮田に聞かれたときの江永の返答で、「好きじゃないけど、絶対死にたくない。誰よりも長生きしたい。這いつくばってでも絶対に生き延びてやるって決めてる」と、宮田からなんでそんなメンタル強いのと聞かれたら「ムカつくじゃん。アタシのことクソみたいに扱ってきたやつより早く死ぬの」。自分のマインドと細部こそ違うけどだいぶ似ていてこのページ視た時思わず口角がにやけたものです。私が絶対に死を選ばない理由も、「自分が気に入らない、自分のことを気に入らない何かなんぞに殺されてたまるか」ってのが一つありますから。

もう一つは、やはり江永と宮田のやり取りで「小さい頃は二十歳になったら人生が切断される、ゲームオーバーになるみたいな感じで自分が死ぬって信じてた」「だけど二十歳になっても全然終わらなくてがっかり。人生は終わらなくて無理やり続いていく。」(中略)「いつでも死を選べるって思うことで生きていられる人間って結構いる」「幸せじゃなくても生きてていいし、死にたいと思い続けながら生きててもいいんだよなって泳いでるイワナ見てたら思えた」って流れ。人生の残り時間が長くてたまらないと思うこと、を言い換えた感じなのかもなあと思えましたね。実際二十歳になってから先、意識しないと本当にいつまで続くんだろうって思うことはあるんじゃないかなと思います。現に二十代の自分はまさにそうでしたから。今は違いますけどね、自分で意識的に色々自分を誇るためにやってる今はそんなこと考えることはなくなってますし。あとはまあ、〇〇だから生きていくべき、みたいなのないよなって思ってたんで、そういうフレーズがあったのが嬉しかったです。なんだって生きてていいだろウというのは私の変わらない考えなので。

とまあ、「ピエタとトランジ」「ババヤガの夜」「持続可能な魂の利用」に続いて読破したシスターフッドでしたが、これらは一通り読み終わったらまとめて読み直してみたさもありますねえ。

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