2025年最初の一冊。作者のことはシスターフッド小説「一心同体だった」で初めて知り、この作品自体はSNSの相互さんが紹介してたドラえもんのパロディで知りました。2か月ほど積読となっておりましたが、今年はちゃんと読書もやりたかったのと今は1冊でも多くエンパワーメントな小説が読みたかったので、早速こちらを読ませていただきました。
結論を申しますと、2025年最初の読書がこれでよかったな、と思えました。シンプルに今の自分に凄く刺さった。と言いますのも、私自身もエイジズム的観点で見たら、いわゆる「いい歳して」夢を追いかけてる人間です(具体的には5か年計画に詳しく書いてるので詳細はそちらで)。
そしてわたしは「らしさ」というものが大嫌いです。具体的には「男らしさ」とか「女らしさ」とか「大人らしさ」とか「子供らしさ」とかそういう社会通念上都合のいい分類にあてはめるタイプの「らしさ」ですかね。自分自身がその「らしさ」に本心では全く適合しない人間だったのですが、それを理由に子供のころは色々と風当たりも強かったので、早々に自分をその「らしさ」の型にはめることで自分を守っていたりもしました。この作品の女性たちも、その「らしさ」の型にはまることで自分とぶつかる障壁から身を守ることも少なくなく、そんなところが烏滸がましいながら重なり、そうするたびに自分で自分を傷つける、本心の自分をいないもの扱いしてると同じで苦しさを感じることが多かったのです。まあ自分がそう感じていたから、と言えばそれまでなのですが、話の女性たちからも、それを感じることが色々とありました。
しかし、そんな中でも悲壮感とかはなくて、ちゃんと本心の自分との対話があり、前へ進む意思はずっと燻っているところが、眩しかったです。
印象に残った話とフレーズ
全体を通した感想はさっき述べた通りなのですが、ここからは個別のお話の中で自分の中で特に印象に残った話と、心に残ったフレーズを記録したいと思います。
How old are you?
最初にこの話を持ってくるのが強いなって。恩着せがましいうえに完全に有害な男らしさ丸出しの彼氏とかエイジズムとか見るだけで嫌になる壁がある中、最終的に何もない(あてもコネも経験も)のに身一つで夢に向かい、飛び込んでいく姿がカタルシス半端なかったです。
ライク・ア・ガール
「らしさ」についてこれでもかってくらいストレートに殴りかかってます。
「らしく」あろうとすると強大な何かに阿って自分を封じてしまうの、誰でもあるし、それは呪いだってことを忘れたくないなって思いました。
私たちはなぜオシャレをするんだろう
オシャレに凝り始めた自分にとってタイムリーな内容でした。おしゃれすると気分がアガリ、堂々と歩ける、自分であれるのです。
印象的なフレーズ
外を歩くとき、俯かずに済むようにして置くこと。気分よく出かけられる格好であること。自信と平常心を与えてくれる装いをすること。だから私たちは、オシャレをせずには生きていけないのだ。誰かのためではなく自分のために。
山内マリコ「あたしたちよくやってる」P64「私たちはなぜオシャレをするんだろう」
あこがれ
「推し」みたいな人が、実は男に守られていると知ってあこがれが失せ、呪縛から解放されるという、「推し」の始まりと終わりみたいな話。
ロールも出るみたいな人が実は現代秩序に阿っていたらがっかりする、と言うのは少しわかる気がする。特に社会秩序に迎合しませんみたいなスタンスならばなおさら。
まあそれはそれとして、自分を縛るほどに「推し」に色々を仮託しちゃうのもどうかとは思いますが。
自分をひたすら楽しむの
年老いた自分をひたすら楽しむの
どの瞬間ももちろん一度きり
山内マリコ「あたしたちよくやってる」P84「自分をひたすら楽しむの」
今を生きる、とはどういうことかを考えさせられる話でした。
われらのパリジェンヌ
夢を追う、と言うのは追わない人から後ろ指刺されるものなのだなあと、そういう経験があるからこそ刺さりました。
誰からも何も言われない人生なんてつまらない
この世界に、真の自由が存在することを。(中略)夢を追いかけた先になにかをつかむことができるんだってことを。
山内マリコ「あたしたちよくやってる」P94「われらのパリジェンヌ」
何かになりたくて何したらいいか分からず、時だけが過ぎていくのは自分の二十代がまんまそれだったなあと思いだしつつも、背中を押してくれるお話でした。
わたしの京都、喫茶店物語
お気に入りの喫茶店で、そこだけの時間を過ごすというのがうらやましかったです。
そんな自分だけの一杯と過ごし方、そんな空間を作りたいと思っているのがわたしの夢なので。
結果として、「何とかなった」のもよかったなって。そんなもがいた先に何かを掴む希望の行動そのものだなあと。
マーリカの手記-一年の留学を終えて-
キム・チョヨプの作品(私たちが光の速さで進めないなら、この世界からは出ていくけれど、地球の果ての温室で)に近い空気を感じました。
終始濃密な関係や交流があったわけでもなく、ディスコミュニケーションの方が多いけど、それでもほんの一瞬だけ心が通う瞬間がある。そんな人と人の交差する刹那の美しさみたいなものがありました。
満開になった桜の美しさは筆舌に尽くしがたく、年に一度しかあの季節が巡ってこないのは残念でなりません。
でも、だからこそ、それは美しいのです。
山内マリコ「あたしたちよくやってる」P171「マーリカの手記-一年の留学を終えて-」
ニキ・ド・サンファルのナナ
男による男のための女性ヌード→
その大半はモデル概要がいまいが「甲だったらいいのに」と、作者の好みに補正されたり想像。それが一種のイデオロギーと化して美の基準になっている。
山内マリコ「あたしたちよくやってる」P177「ニキ・ド・サンファルのナナ」
「男の目」を経由しないのは不可能だからこそ、そうでない目を早めに身につけないと。
ニキのナナ、実物見てみたいですね。
一九八九から来た女
ジェンダー論今昔みたいなお話。
定期的に思い出したいですね、戒めとして。
楽しい孤独
結婚を「二人きりの孤独」と言うのが自分にとってタイムリーでした。
人は孤独で、その孤独を持ち寄って同じ時を生きるし、その孤独が重なって生きることもある、みたいなお話を最近知ったので。
わたしも一対一の関係築く方が得意だからこそ、うなずけるものも多かったです。
五十歳
自分の変(これも社会秩序視点かな?)な所も受け入れつつ、自分が若いときに言ってほしかったことを次の世代の人に言えるような老人になりたいな、って思える話でした。
勝手に不幸扱いして憐れむのは確かにむかつきますが。
作中の主人公は若いころ自分のために生きてきた、とは言っていましたが、わたしは誰かがあってこそのわたしのために生きる、なので(そしてそれは非常に利己的なことだとも思っている)、その辺もう少し詰めたいなって思うこともありました。
超遅咲きDJの華麗なるセットリスト全史
読了したときに、なぜか涙がにじんでいました。時代とともに音楽が変遷していって、好みが変わるのも「あるある」でした。
自分に才能がないのも、とても感銘を受けた者に巡り合えたのも、子供のころに「あるある」だなあと。
そんな「あるある」の中、夢をあきらめた人がその夢や夢を追う人をぶつくさ言うのも解像度が高く、それでも夢を貫いた人が、そのぶつくさ言っていた人の心も揺さぶるのが話として非常に美しかったです。
そしてかつて感銘を受けたものに自分自身がそれを体現してもなお止まらず、先を見る80歳。太陽みたいな話でした。
こんな老人になりたい。今までの話あってのこれ、という構成が凄かったです。
ぶつかる壁も、夢を笑う周りも、才能もやり方もないことも、あきらめる人も、エイジズム、家父長制の壁もあって(これらもここまでの短編で全部出てきた)、それでも自分の「好き」を転々と蝶のように移り歩いて輝く、そんなお話でした。
結
新年最初に読んだのがこれでよかったです。自分の夢のために地盤を整える一年にしたいと思っていたからこそ、その夢のための歩みに強いエンパワーメントを貰えるのが非常に運命めいたものを感じました。行動することでしか変わらない。でも行動すれば本当に色々な秩序の壁にぶち当たる。そのたびに自分はどういう心持で行けばいいか。それをより確かにするため、次はレベッカ・ソルニット「暗闇の中の希望」を読みたいなと思っています。
