雑多な思考整理「わたしにとってのエンタメの立ち位置」

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わたしは、現実を生きている。それはどうあっても覆せない事であり、向き合わなければならない事。地球という惑星の中で生きている。地球の中の人間という、地球循環の上では極めて異質な存在である種として生きている。そして、これを書いている現在、史上最悪の人間による虐殺行為を止められないでいる現実を生きている。

その一方でわたしは、エンターテイメントを享受して生きている。心惹かれるヴィーガンスイーツのレシピを眺め、それを実際作ってみて、口にするエンターテイメントを。コーヒー豆を焙煎し、流れ出る香りに癒されながら、一杯のブラックコーヒー、エスプレッソ、アートを描くオーツミルクラテを淹れて急速の時を過ごすエンターテイメントを。生きている場所も時代も違う人間が書き記した己の存在の記憶ともいえる書物を読み、その記録を追体験し、自らの知へと昇華していくエンターテイメントを。他にも数多くの娯楽、エンターテイメントを享受している。

ではそれらは、冒頭で書いたような惑星・地球で生きて行く上で、その一存在としてその循環に貢献するうえで、今起こっている理不尽に抗する手段としては何か役割を持つものだろうか。と最近は考えることが多い。

わたしのなかでエンターテイメントは、現実に還り、現実を生きるためのもの。それは子供のころからずっとそう。そこは多分、どれだけ自分を捨てて抑圧していた最悪の時代ですら変わっていなかったと思う。子供のころは、エンターテイメントから得たものが現実にどう貢献できるかを考えて、そういうものを感じ取れそうなものを好んで摂取していたと思う。

じゃあ今は?

前述の疑問を自分に問いかけた時、わたしの頭に過ぎったのは、「わたしが今摂取しているエンターテイメントは、自分の夢だとかのためのものだとしたら、結局それは自分周りのものにしか還元しないもの。自分さえよければそれでいい、じゃないの?それは地球上の一存在としての責務を放棄しているだけじゃないの?それは現実に還り、生きるんじゃなくて、現実から逃げているだけじゃないの?」という自分への更なる問。自分の娯楽はただの逃避行為なの?考えること、責務と向き合うことを捨てるためのもの?そんな嫌ーな考えが頭に去来することも少なくはなかった。

そしてその一方で、仮にそうだったとして、逃避行為の何が悪いのか、ということを開き直りではなく、検証してみる必要もあるんじゃないのかとも思う自分もいた。正直自分の行いを単に悪い、と決めつけるのは簡単だけど、なんで悪いと思ったのかを考えずに決めつけるのは疑問を持たないことと大して変わらない、考えていないという点では。少なくともわたしは、疑問を持つレベルにはたぶん精神的な余裕はあるのだと思う。だから考えるべきかなと。

まず逃避行為については、わたしは別にそれ自体を悪いとは思わないどころか、時には必要とも思う。常日頃からあらゆることに立ち向かうことができる人間なんてそうそういるものじゃないし、少なくともわたしはそんなに強くない。無理。きっと心が折れる。あと立ち向かうべきもの、別に相手にしなくていいものを選別することだって必要。それも考えることだから。つまりは、相手にしなくてもいいと自分の頭で考えて決めたものから逃げることは別に悪いことだとは思わないし(それを周りがどう思うかは別として)、なにより、逃避というのは、再び立ち向かうための活力を蓄えるための充填期間でもあるんじゃないかと思う。

こう考えるようになったのは、レベッカ・ソルニットの著書「暗闇のなかの希望(ちくま文庫)」に、「社会問題にコミットすることと自らの娯楽を享受することはトレードオフではなく、両立しうるもの(原文は見つかり次第更新します)」といったニュアンスの論述が為されていたことが大きい。多分社会問題へのコミットを、エンタメ界隈が忌避する大きな理由の一つは、「楽しみに水を差される」「楽しめなくなる」といった、自らの娯楽から得られる活力が不全になる恐れがあると、周りの友人との話からは感じられた。でもそうじゃない。片方にかかわったらもう片方が薄れるなんてことはなく、それらは相互に共存しうるものであり、自らの向き合い方次第では緊密にかかわりあうものにもなるのかな、と。それはわたしの「現実に還り、生きるための娯楽」とも合致する。社会問題にコミットすることは、何度も心をえぐられることから避けては通れない。そうやって擦り減った心を、娯楽で回復し、またコミットする活力を得る。そもそも自分を大切にできない、自分が万全でない状態でコミットしても、大した効果はないし、何なら自分も他人も傷つける結果にしかならない事だって多い。ならば社会問題へのコミットの最初の道は、自分が万全であることともいえるのかもと思う。そのための手段として、エンタメは非常に大きなウエイトを占めると思う。

そしてもう一つ、わたしの夢の実現のためのエンタメは、自分周り、自分たちさえ気持ちよければいいという内にこもった思考を補強するだけでは、という自分への問いに関しては。そもそも自分の夢自体が自分周りだけで完結させる気は全くないということ。この世界で、この地球で、人間として、循環の一存在として生きるためにできることを考え、その上で干渉しない共存、様々なものが様々な角度で繋がっている、それが循環を引き起こすという地球自然の一存在としての自分をより深く知ることで、そちらに乗り、奪い奪われの構造から降りる。その場所で実現するのがわたしの夢の空間・農園で在り喫茶店で在りサロンで在り、わたしの家なの。つまりは、この地球上の様々なつながりを知り、理解し、深めていくことでようやく実現していくものであるため、自分以外の色々なつながりなしには実現しえないものであり、それを知り、理解できるエンタメの享受は、いつか必ずそれを教えてくれた存在へ還元したいと思っている。だから自分周りで完結させる気は全くない。

そう考えることで、わたしはこれからも堂々とエンタメを享受していく。現実に還るために、現実を生きるために、地球上の一存在としての責務を果たすために。それらを常に念頭に置きながら、これからも楽しんでいくし、先に繋げていくつもり。

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