思考整理4回目。わたしが友達にヴィーガニズムの実践についてのあれこれを話した時、自分はそれを考え、実行できる立場にある人間だと評された話をした。その話の続きとして、同席していた別の友達と、別の機会に自分の「夢」についてとお互いの現状やスタンスについて話す機会があった。そこでその友達から、わたしの「夢」に向き合う生き方を貫く姿勢を以て、わたしを「強い人」と評してくれた。
どうにも自分の先の姿をイメージして、それに向けての行動を大なり小なり体系的に重ね、それを習慣化できていることが、確固たる在り方に見えて強い、とのことだったようで。勿論親しい仲という補正はあるかもしれないが、自分が実際人生を賭けて実現したいもののために考え、実践していることをそう見てもらえるのは非常にありがたいし、そういう人が近くにいるのはとても貴重だなって改めて実感した。
そして一人になってわたしは考える。強い人っていったいどんな人なんだろうって。
わたしは、そうは言ってもらえはしたものの、自分のことを全く強いなどとは思わない。悪意に物凄く弱いからはっきり言ってインターネット全般に向いてないし、何ならビジネスの世界の適正だって全くない。正直悪意で返されることが怖いのは今でも変わっていないので、必要以上に人に踏み込もうとしない。だから今までヴィーガニズムについても、勉強中のジェンダー・アイデンティティについても、ポリティクスについても全く表出しようとは思わなかった。
そしてそんな、自分が傷つかない方法で自分にしか還元されない学びしかしていなかったことは、今思えば随分独りよがりだったと思うし、幼稚なことだったと思っている。言い換えれば、これは「自分が興味あること、やりたいことしかやらない」でしかなかったわけだから。更に身も蓋もなく言えば、責任を負うことがないのだから、そりゃ気楽なものだと。世界に自分しかいない、若しくは自分と近しいものしかいない段階だと、責任を負うことなんてないし、いやなことはやりたくないから、という理由で周縁化してもなにも責められることはない。要は、「自分(立ち)さえ平和なら、楽しいならそれでいい」の域を出なかった。これ自体は、子供のうちはむしろこういう世界でのびやかに育った方がいいとは思うし、なんならそういう世界でないと心がつぶれてしまう、心穏やかに暮らせない人には欠かせないから、こういう世界にこもってる人が幼稚、などとは思わない。でも、わたしのような人間が、学び、実践し、目指すことができる立場にあり、心身を持つ人間が「自分が嫌だから」ってだけでその世界にこもりきるのは、やはり無責任なことじゃないだろうか、と思ったわけで。
こんなことを最近思うようになったのは、世界情勢(パレスチナでのジェノサイド、ポピュリズムによる暴力の横行、差別とバックラッシュなど)を知ること、夢を叶えるために色々な計画、行動を立てるにつれて、ただやりたいことをやっていればいいわけではなく、様々な要素がつながっていることを知り続けていること、主にeco検定の勉強で、地球の循環という様々なつながりの極致点ともいえるものについて触れたこと、それを二十四節気と七十二候を知るために実地で自然に触れることで、そのつながりを肌で感じたことなど、複合的な要素が重なった結果だったりする。
それらは決して遠いことなんかじゃない。そしてそれらは自分が嫌だから、やりたくないから、面白くないからなどといった理由で遠ざけてもいいものでもない。それらのつながりを理解し、そのつながりに自分もできる形で、すべき形でコミットすることが、わたしの責務にはあるのではないだろうか。そんなことを考えるようになった。
そしてそれに対して、不安や恐怖があったとしても、それらを周縁化するのではなく全部包摂したうえで、責を果たそうと考え、動き続ける人たちは、「強い人」といえるのではないだろうか。いや、動き続けられなくても、不安や恐怖を知り、どうすればいいか考え続けている人たちもわたしは強い人だと思うし、向き合ったら、考えたら自分の心が耐えられないからあえて生きることで、いつか向き合えるようになる日を待ち続けることも、また大事だと思う。強い=いいというわけじゃない。その強くなれないから己を削る、なんてのはあってはならないし、少なくとも、自分のことも自分以外の事、一見遠かったり関係ないと思える存在に対しても思いを馳せることが、強さからは決して切り離してはいけないものだと思っている。それがない強さは、暴力装置になりかねない。
わたしは、もちろんこれから先も自分の夢である搾取構造から降りて共生や循環の一端を担う喫茶店を営む余生を過ごす、というビジョンのために動くことは変わらない。しかし、そのためには網のように絡み合っている様々なつながりに目を向けるべきだし、それを目指すために、向き合うために避けて通れない向き合わなければならない事象に対しては、知り、立ち向かうことで責務を果たすべきだと改めて思う。それが、きっと「自分さえ平和ならそれでいい」を脱して、わたしがなりたい「強さも優しさも備えた知性ある一存在」に近づく道だと信じている。だから次会うときはもっとなれているといいな。わたしの信じる「強い人」に。
あと、店立てることになったらその名前には循環や共生に関連した言葉は入れたいなって思ってる。
