私は、ヴィーガニズムに共鳴し、ヴィーガンになることを目標の一つにしている。
つまり、今はまだヴィーガンではない。
このアーカイブでは、自分がヴィーガニズムを実践するようになった経緯と、実践してどうなったか、そして現状と今後の展望についてを記載したいと思います。
ヴィーガニズムの出発点:中学生頃の話
直接的な出発点、というわけではないけど、おそらく自分の中で最初に感じた違和感というものがあります。中学生頃の話です。
あまり気持ちのいいものではないため、格納しておきます。
理科の実験の授業で、特別授業だったのかどうか定かではありませんが、生物の臓器について実物を見たうえで理解を深めるといった趣旨の授業があり、そこで屠畜されたのか、それともこの授業の為だけに殺されたのかはわかりませんが、解剖された豚一頭がそこに送られました。
周りのクラスメートは興味深そうにその豚の死体を色々な角度から眺めていましたが、私はそれを見て、言いようのない悍ましさに襲われ、その場から全く動くことができませんでした。
何というのか、自分が普段何の疑いもなしに食べていた肉は、元をたどれば生き物のそれであり(当然なんですが)、それをあのような姿にしてしかもそれをバラバラにした上で出されるのかと。そのころすでに豚がヒトと同じ哺乳類であることは流石に知っていたため、直感的に殺されるとき痛みとかもあるんじゃないかとか考えていました。とはいえこのころはまだ子供であり、自分にはどうすることもできないからと変に聞き分けがよかったので言い訳を自分に言い聞かせ、そのころ感じた違和感からは長いこと目を背けていました。
また、他にもどこかの料亭で寿司だったか刺身だったかを頼んだ時、水槽に入っていた魚を取り出し、目の前で捌くのを実演してもらったことがあったのですが、まな板の上ではねる魚が包丁を入れられ、動かなくなった瞬間を見たとき、自分の中で「何かが消えた」ような感覚がしました。それが悲しかったのか怖かったのかはわかりませんが、やはり言いようのない違和感みたいなものが自分の中に残り、やはり子供だからという理由でその違和感をずっと飲み込んでそれからは過ごしておりました。
ちなみに、給食で毎日のように出された牛乳については、乳糖不耐症だったのか、初めて飲んだ時から「あ、これ無理」と思っていたため、基本的にずっとこっそり牛乳好きのクラスメートに横流ししたり、しれっと残すようになっており、まともに飲むことは殆どありませんでした。
ヴィーガニズム実践の始まり:シームレスな移行
私が本格的にヴィーガン、という生き方を知ることになったのはおそらくヴィーガン自体が世界的に知られるようになった2019年(どうやらこの年はヴィーガン元年ともいわれているらしい)あたりだと思います。代替肉の存在や、工業畜産がもたらす諸々への影響などの話を知り(意外なことに、私が知ったのはこれらのアニマルウェルフェアや環境保全関係の話が先で、健康や美容は二の次でした)、自分たちが生きている世界を少しでもいい形で次へ残そうとする人々の活動に対して強い敬意を持つようになりました。
もっとも、当時の自分は自分が感じた違和感を呑み込み、自分の根源にある自分自身のアイデンティティにも、自分の願いにも、夢にも目を背け、吞み込み続けた結果、自分を無力だと思い、自分を醜い存在だと思い、自分をずっと許せずにいたので、自分がやろう、とまでは思えませんでした。まだ動物由来原料(特にバターや鶏卵などの製菓に使う原料)を手放す生活、というのも移行できる自信がなかったことが大きな理由でした。だからせめて、ヴィーガンの人たちの活動に対して支持を表明する、程度にとどまっていました。ここで詳しく言うのは避けますが、私の目には明らかにアンチヴィーガンの方が圧倒的に過激かつ説得力のない言動をしていたのも相まって。
本格的に移行したのは、正直言うと具体的にいつだったかはあまり覚えてません。少なくとも、2022年の2月からジムトレーニングを始め、プロテインを飲んだ時は、必ずプラントベースのもの(ソイプロテインかピープロテイン)を用いていたので、そのころには食生活におけるヴィーガニズムを実践し始めておりました。移行自体は、思い切ってやるぞ!みたいな気は全くなく、気づいたらシームレスに行えておりました。そうなれた背景に、前述した幼少期の違和感が根幹にあったのは、私の中で疑いようのないものだと思っています。もし摂らずに済むならばそうしたい。あの時自分が感じた悲しさ、恐怖、悍ましさ、違和感を今度こそ置き去りにしたくない。そんな気持ちから始まったのだと思います。
ヴィーガニズム実践
初期:代替肉ローテーション
ヴィーガニズムを実践し始めた初期のころ、そのころはトレーニング始めた手ということで、タンパク質の1日の摂取量をかなり意識しておりました。そのため、代替肉としての大豆ミートを1食あたり50~60g(戻し前)ぐらいはとっていたと思います(1人前はだいたい40gくらいなので、換算1.5人前ぐらいだったかと)。ブロック型のものでヤンニョムチキンや唐揚げ、カレー、トマト煮込みなどにしたり、バラ型のもので肉じゃが、生姜焼き、焼きそばなどにしたりのローテーションを組んでいましたが、飽きはなく、味もスーパーで買うような肉と大差ないくらいにはボリュームも十分でした(下味をしっかりつければそうなるんだと思います)。
第1転換期:代替=制約って意識から解放されたい
次第にトレーニングによる肉体改善もおおむね満足のいくレベルに達し、たんぱく質の摂取量への固執もなくなるにつれて、今度はちょっとした欲が出てきました。
「大豆ミートで肉料理の代わりをやるよりも、元から植物由来の食材を使った料理をもっと知りたいし作ってみたいし食べてみたい」
と。別に大豆ミートが嫌いになったわけではないです、あれらで作る料理はおいしいし肉料理と大差ないボリュームもあります。とはいえ、そればっかりで肉料理の代わりを延々と作り食べ続ける日々に、どこかしらの窮屈さと制約を感じてしまったのです。
そこで、ヴィーガン料理のレシピ本を手に取り、代替肉を使わずともボリュームたっぷりで栄養価も十分な料理の数々を知ることができました。そしてそれらは、通販でしか入手できないレア素材などを使わずとも、スーパーで普通に売ってる食材の数々で作れることも知り、レパートリーを広げることに繋がりました。
第2転換期:ヴィーガニズムって食事をプラントベースにするだけじゃないよね?
なんやかんやで、食生活の方は殆どプラントベースに移行できました、結構すんなりと。そうなると多少なりとも余裕が生まれ、ヴィーガニズムに関する著書などに目を通す機会も得られました。
その結果得られた知見として、ヴィーガニズムは日本では「完全菜食主義」などと略されることもありますが、その実際の意味するところは「脱搾取」がより近いものとされています。要するに、「動物に対する人間の都合による産業的な搾取(食材、衣服・化粧品・スキンケア用品・洗剤などの原料、動物実験、動物園・水族館などの見世物的な利用、ペット販売など)を可能な限り行わないようにする」ことだと思います。正確な定義は、引用すると
ヴィーガニズムとは衣食その他、あらゆる目的による動物の搾取と虐待を、現実的で可能な限り暮らしから一掃しようと努め、ひいては人間・動物・環境のために、動物を使わない代替選択肢の開発と利用を促す哲学と生き方である(イギリスのヴィーガン協会より)
出典:亜紀書房「今日からはじめるビーガン生活(井上太一:著)」
になります。この辺の話はこれ以上すると脱線しそうなのでここで切るとして、要するに「食事をプラントベースにするだけではヴィーガニズムの実践としては足りない」というわけです。
というわけで自分の身の回りのものを見るともうありとあらゆるものに動物由来の原料が含まれているのなんの。ざっと上げるだけでも、
- 衣服→シルク(絹:蚕の糸)、ウール(羊毛)、羽毛、皮革、あと動物じゃないけどコットン(綿)も環境負荷の観点からグレーらしいです
- スキンケア用品→グリセリン(動物油脂)、スクワラン(鮫)、ミツロウ(蜂蜜)、あと動物じゃないけどパーム油もコットン同様の理由でグレー
辺りが出てきました。洗剤や化粧品にしても、原料としてだけでなく、動物実験をしているかどうかといった観点もあり、改めて洗ってみて、自分の便利な生活がいかに動物たちからの搾取のもとに成り立っていたのかということを思い知らされました。知った以上は、もう自分に嘘は付けません。変えられる部分から変えていこう。ということで、今ある製品は製品として使うとして(捨てたら捨てたで水質汚染だったり焼却による温室効果ガスの排出に繋がったりと別の問題につながるので)、買い替えの際にヴィーガン対応(動物由来原料不使用、動物実験不実施)の製品を事前にリサーチし、店頭で買えそうなら買う、そうでないなら通販で購入、といった形で進めています。その結果、スキンケア用品、ボディケア、ヘアケア用品はほぼヴィーガン対応に移行できました。化粧品はまだ使い切ってないので、切れ始めたら改めてリサーチ、買い替えを考えようと思います。服も基本的にはポリエステルや麻、オーガニックコットンのものに変え、そもそも毛皮は使ってないし、革製品はほぼすべてフェイクレザーへ切り替えられたと思います。
以上のように、私の場合、劇的に一瞬ですべて動物性不使用!って感じになったわけでなく、
実践者への敬意→食生活から実施→食生活以外の身の回りのものを段階的に切り替え(今ここ)
といった形で、少しずつ、それでいて自分にとって無理のないペースでの切り替えを実現していきました。
ヴィーガニズムを実践してどうなった?
結論から言うと、
世界が広がった
より意識して自分を生きるようになった
これに尽きます。前の生活に戻りたいとはもう思いません。
食生活の世界が広がった
食生活の観点で見ると、肉を食べていた頃に比べると、当時は全く使っていなかった様々な食材に目を向けるようになりました。その最たる例が厚揚げで、豆腐に比べても密度が濃く、衣の味わいがジューシーで味がしみこみやすく、しかも安いと、非常に手軽に満足感を出してくれる食材です。さらにはナスもよく使うようになりました。こちらもまたボリュームたっぷりで風味良、味の染み具合良と使いやすく、夏はラタトゥイユなどでよくお世話になりました。そしてこれらが、自分が元から大好きなキノコ類やトマトとの相性も抜群で、それを知ることができたのもまた、ヴィーガニズム実践におけるバタフライエフェクトなのかもと思っています。
また、ヴィーガン料理やお菓子を作る過程で、それまでは全く知らなかった食材の存在について知る機会も増えました。キヌアやレンズ豆、ニュートリショナルイーストといったスーパーフード、ココナッツオイルやアーモンドプードル、アガベシロップといった製菓材料辺りは、おそらく肉食のままであれば触る機会すらなかったと思います。特にココナッツオイルの存在は非常に大きく、製菓は植物性だとだいぶ制限されるか?と思いきや全然そんなことなく、むしろより多様な食材で多様な生地を作れる可能性を広げる間口みたいな存在でした。そして知ったことで自分の食の世界を変えた最たるものはオーツミルクを置いて他にはないでしょう。これを知らなければ私はここまで珈琲にもはまらず、カフェの開業などを夢には据えなかったと思います。乳糖不耐症の自分にもカフェラテができる、味も濃すぎず薄すぎず、くせもなく非常に飲みやすい、バリスタブレンドであれば(あくまで植物性ミルクの中では)ラテアートも描きやすいと、値段以外にはけちのつけようのない代物です。
その一方で、未だに日本の主流は肉食文化です。ゆえに、外食や出来合いの総菜などには、ほぼ必ずと言っていいほどに動物由来の原料が入っています。そのため、必然的にほぼ完全に自炊に移行するのにはそう時間はかかりませんでした。使う食材や、用いる調味料の原料なんかも逐一調べるようになったし、製法なんかにも目を配らせるようになりましたので、食生活に対して非常に丁寧になったし、自発的に自らの意思で、食材や製法、調理を選ぶようになったと言っていいでしょう。知識面でも生活面でも、自分のQuality of Lifeは向上したと思います。
消費行動が持つ特権性と、自分を取り巻く世界への解像度が上がった
改めて、消費行動って特権的なものなんだなというのを日々考えさせられます、ヴィーガニズムの実践を通して。
詳細は避けますが(ただでさえ長い記事がとんでもないことになるので、別の記事にまとめたい)、日々消費する商品が、どれだけの動物や環境、ヒトに抑圧や負荷を強いることで生まれて来たのか、というものを意識的に知ることができます。それを知らないとヴィーガニズムに則った消費はできないので。
それを、知らないこともできる。知ったうえであえて消費することもできる。消費することにそういった負荷に対して特に何も気にしなくても平気で明日を迎えられる。それは紛れもない特権だと思います。そしてもちろんこれは、知ることもできるし、知ったうえであえてそれらの消費を避ける、負荷に思いを馳せることもできる、それに対して具体的に行動を起こすこともできる。これから知ることだってできる。と裏返すこともできる。
この特権があるならば、せめて自分はその特権を、意識したうえでより良いと思える、自分が納得できる方向に行使していきたい。少しでも消費行動により搾取される存在を減らす事に繋がるような行動をとりたい。そう思うことで、やはり自発的な自らの意思のもとでの行動をできていると実感するのです。それができるのも、学び、実践しているからだと私は思います。
くどいようですが、私は知った以上は自分に嘘は付けないので。自発的な意思でやったのか流されて、自分に言い訳をしてやったのかは、どう取り繕おうが自分に嘘は付けない以上、自分だけはそれがどっちなのかを分かってしまうから、後者のような消費行動をとるたびに、もう罪悪感からは逃れられなくなる。ヴィーガニズムの実践は、私にとってそんな罪悪感を受ける機会をどんどん減らしていける試みだと思っています。
また、知らないままに流されているのが一番嫌なので(それを、彼のアナーカ・フェミニスト高島鈴さんの言葉を借りさせてもらうと、「緩やかな合意」と捉えています)、それを、ヴィーガニズムの実践により、知ることで減らしていけるならば、私を生きる上でも非常に心強い指針となると思いました。
健康面も明らかに前より良くなった
これは副次的な効果ですね。具体的に以前と現在を比較すると、
- 体重がここ2年で18kg減った
- 体脂肪率がここ2年で8%ほど減った
- 体臭がなくなった、夏場の脇臭もほぼしない
- 代謝が非常に良くなり、たまにドカ食いしてもほとんど太らなくなった
- 身長が1cmちょっと伸びた。姿勢がよくなったことによるのか本当に伸びたのかはわからない
といった具合に変化しました。これは2年以上続けての結果なので、すぐに変化がある、とかではありませんでしたが、確実に自分にとっていい変化があったと確信できます。
今後の展望
以上の現状を踏まえ、自分の今後のヴィーガニズムとの向き合いについて。
私の夢は、現状の搾取構造から降りて、その先に自らのHomeを立ち上げることであり、ヴィーガンカフェの経営もそこに含まれています。
だからこそ、よりヴィーガニズムの実践は徹底していきたいし、ゆくゆくは完全なヴィーガンを名乗れるレベルにはなりたいです(現状は、人からもらったものとか、人付き合いとかではまだ完全プラントベースはできていないし、前述のとおり移行できていない日用品もあるので)。
過度な消費はやめ、資産は自分の必要な範囲のみにとどめて不公平な搾取のもとでの資産増加はしない。
自分がやりたい、何からも奪わず、何からも奪われないでいられるカフェ空間を打ち立て、その空間にいる人も同じように秩序構造から解放される、そんな空間を打ち立てる。
そこで自家菜園の土をいじって汗を流し、コーヒーやお菓子の香りに癒され、気ままにピアノ弾いたり本を読んだり、エネルギッシュさと落ち着きを兼ねそろえた、生命との共生を忘れない健康な老人になる。ヴィーガン生活を通じて心身共に。それが今の自分の夢です。
ちなみに、他の人や身内に勧めたりするの?って話は、今のところその予定はありません。私はすんなり移行できたけど、他の人までそうだとは限らないし、私自身が誰かに啓蒙したり教えたり、ってのをあまりしたくないんですよね。そんなことできるほどの人間じゃないし。そういうのってきっと当人が一番理解してるものだと思うので。
ヴィーガンの根幹は脱搾取だけど、私自身は、共生もまたあると思うんですよね。ヴィーガニズムは動物の生命を人間だけの都合でコントロールし、搾取する工業畜産をはじめとした動物利用からの脱却を謳ってます。それはつまり動物には動物の世界があり、生き方があるわけです、人間それぞれにそれぞれの生き方があるように。自分の世界が一番大事なのはそうですが、それとは別に自分が住む世界には当然自分以外、人間以外の存在だって当然のように存在している。自分が自分として存在するのに誰かや何かの許可なんて取ってないのと同じように、他の存在だってその存在として存在するのに誰かや何かの許可なんて必要ない。だからそれぞれの世界を脅かしたり支配したり、黙殺してはいけない。それってつまりは共生なのではないでしょうか。脅かさない、支配しない範囲でほんのわずかな時間でもそれなりに長い時間でも世界や生き方が交わるときはあるとは思いますが。
だから動物を搾取したり支配しないなら、当然人間相手にもそうあるべきですよねって話。私にとって啓蒙や教授ってのは匙加減次第でたやすく支配にも暴力にもつながってしまうと思うのです。それを上手くできている人が後世にもたたえられる偉大な啓蒙化や思想家になるのであり、私は自分にそんな器があるとは思ってはいないので。
だから、私は自分のヴィーガン生活を今後も開陳していくにとどめます。実際この生活は充実してるし、毎日を生きているという実感が常に湧いている。その一幕をどこかのだれかが受け取ってくれたらうれしいし、別に受け取ってくれなくても私が記録していればそれでいい。
